国津姫神社:常世ニ降ル花 土雲歌譚篇 01

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「東から嵐が来る」

豊王国の北限、周防娑婆に多くの郷を治める女王がいた。
名を神夏磯姫と云う。
彼女は潮干玉・潮満玉の神器をもって月神を奉じ、先行きを読んだ。

「抗うことができない大きな力、荒々しく多くの者が殺され、残った者も傀儡とされよう。
恐ろしいこと、我が民は一つにならねばならぬのに、もはや統べる王はいない」

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筑紫島は荒れていた。

「物部許すまじ」

豊玉女王の後継者、豊彦は東方の辺境に追いやられ、豊姫は刺客によって命を奪われた。
物部イクメは大和政権を手に入れると、異母兄弟であった豊王家の皇子と皇女を裏切ったのだ。
女王の威光によって北部九州に勢力を広めた豊の各部族は怒りに震え、王朝に対して武力蜂起した。
しかしそれはまとまりに欠けていた。
それぞれの部族が相応の勢力を有していたが故に、全体でひとつになることができなかったのだ。
彼らは物部政権下の大和王朝から「ツチグモ」と呼ばれた。
兵士として連れられ血を流した隼人族にも、勲功が無かったことに不満を漏らす者たちがいた。
彼らは「クマソ」と呼ばれた。
そのようなまつろわぬ民を自ら軍を率いて平定に乗り出したのが物部大和王朝2代目大王の大足彦「景行帝」であった。

「大和の軍が攻めてくる。彼奴等に真っ先に相対するのは我らぞ」
「夏磯様、豊姫様のことを思うと我らは無念でなりません。先陣を切って奴らに一矢打ち込んでやりましょう」

神夏磯姫の重臣たちは徹底抗戦の意気込みを見せた。
しかし彼女の顔が晴れることはない。
その手に握られた二つの玉には、不吉の色が浮かんでいたのであった。

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山口県防府市富海にある「国津姫神社」(くにつひめじんじゃ)を訪ねました。

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のどかな集落に鎮座する当社には、小降りながらも石の橋が架けられ、郷社の情緒に富んでいます。

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当地・富海は海に面しており、幕末には勤皇の志士、吉田松陰や高杉晋作らがこの港から飛船と呼ばれる漁師用の小舟を利用して京都や大坂に渡ったと云います。

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当社の祭神は「田心姫命」「湍津姫命」「市杵嶋姫命」の三柱、いわゆる宗像三女神となっています。

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その謂れは、古い時代に富海人が海岸守護のため、郷土の祖神として宗像三女神を岡の宮に祭祀したことにあるということです。

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しかし宗像三女神は天照とスサノオの誓約(うけい)によって生まれたとされ、一般的に天津神に分類されるのが常です。
それが国津姫として祀られていることには非常に違和感があるもの。
これを由緒では次のように説明されていました。

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景行天皇12年(742年)秋、皇軍が筑紫の熊襲征伐の途中、周防娑婆(さば)に至るとき富海防府の地一帯に多くの部衆を有する女酋神夏磯姫(かむなつそひめ)なる物が居て勅使に帰順の意を表したが、なお、残賊として佐波川上流あたりに皇命に反する者があったので、それらを速やかに平定し復命したと日本書紀-防府市史にある。
このような機縁でこの周防娑婆一円を領した女大酋長「神夏磯姫」を推古天皇の御字に、先の天津神に対し、国津神(先住民族)すなわち併神として当社に祭る。

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つまり、推古女帝の頃に天津神が祀られていた神社があり、後から国津神を併せ祀ったので国津姫神社とした、と。
いや、これはおかしい。
下位の存在を併合して上位から下位へと変名したなどとはありえません。

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おそらく推古女帝の奈良時代までは、多くの国民が正しい歴史を知っていたものと思われます。
つまり、この宗像三女神として祀られている本当の神の正体は、彼女らを祖にもつ当地の偉大なる支配者、豊玉姫だったと云うことでしょう。

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これまでの検証でも明らかになってきておりますが、宇佐神宮の比賣大神や厳島神社の三女神らは記紀に合わせて書き換えられた神であり、本来の祭神は豊玉姫なのです。

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豊王国全盛時、山口もその支配域でした。
神夏磯姫はその最端部の戸畔であり、豊玉姫をここに祀ったのです。
正確には、国津姫神社はいく度か造営、再建されて今日に至っているので、もともとは船山(岡の宮)にて祭祀されました。
おそらく往古のこの場所は、海だった可能性が濃厚です。

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富海村史稿によると、奈良時代朱雀天皇の御宇承平5年末(936年)に国津姫大明神の御託宣に依り、現在の社地である浮州に移転されたとあります。
室町時代、弘治三年の乱で社殿が焼失、毛利元就が自ら大旦那となり、永禄6年発玄(1563年)社殿を再建しました。
その後幾度かの造営がなされ、一時社殿を道場山(門前山)に遷したものの、再び浮洲に戻され、現在に至っています。

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とても綺麗に手入れがされている境内。

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本殿裏には末社群が鎮座しています。

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その一つ一つが誰を祀ったものかは不明です。

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しかし一つだけ明確なものがありました。

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一際大きな石に、達筆な文字で「月読尊」とありました。
この石碑自体は新しいものと思われますが、当地に月読信仰が伝わっていたことの証と取れます。

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月読神は豊玉姫が祀った神です。
これこそ神夏磯姫が豊玉姫の系列にある戸畔であったことの証であると言えるのです。

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境内の端に変わった実がなった木がありました。

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硬い半透明のオレンジの殻の中に黒い実が入っています。
ふるとカラカラと音がして可愛い。
調べてみると、ムクロジの木の実でした。

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民家に挟まれた国津姫神社の参道を歩いて行くと、一の鳥居がありました。

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この鳥居は天保10年(1839年)正月に、海上安全を祈って飛船乗組員が寄進したと柱に彫られています。
今なお町民に崇敬深い、実に奥ゆかしい神社でした。

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4件のコメント

  1. Yopioid より:

    読みながらゾクゾクしてきました。
    九州北部と周防南部まで豊王国だったんですね。
    海を挟んでおり、舟運を生業とする瀬戸内の水軍衆に連なる先人も関わっていたのだとしたら、
    私も先住民の仲間に入れてくだしゃい~。

    阿蘇山噴火の90000年前のときの火砕流は山口県秋吉台まで及びました。
    関門海峡は約10000年前の河川形成がベースで、その後、縄文海進で海峡になります。
    縄文海進といえば19000年前から6500年前。
    関門海峡ができてからどれくらいのペースで幅が広がったのかはわかりませんが、
    古くは本州と九州とがもともと一つだったことを思い出しました。

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    1. CHIRICO より:

      なるほど、では関門海峡ができたての時は九州と本州をぴょんと飛び渡れた瞬間があったのでしょうかね。ぴょんぴょんと飛び渡ってみたかったです😁
      豊族の大元にはインドネシア系の古代人もからんでいるようで、もともと渡海技術は長けていたようです。志賀島の安曇族なども豊系です、たぶん。
      他に阿蘇地方の阿蘇津姫も豊系ですね。阿蘇から天草方面にかけて、豊玉姫の眷属であるナマズをトーテムとする一族がいた痕跡があります。つまり熊本中部から周防地区までが邪馬台国支配域だったようです。人吉から南はクマソ系ですね。

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      1. Yopioid より:

        ぴょんと、行ったり来たり笑!神話の海をひと跨ぎとか島をぴょんぴょん、意外にそれに近いことが以前の地形で説明できたり、なーんて。大分出身の同級生の訛りが、福岡のそれと違って中国地方の訛りにより近いような気がしてたことを思い出しました。阿蘇山の火砕流分布域と邪馬台国の範囲、重なりますね。たまたまでしょうけど。過去に繋がっていた文化圏を探る洞察力素晴らしいです。いつも面白く読んでいます。

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        1. CHIRICO より:

          このブログも綿密な計画があって書いているのではなく、わりと行き当たりばったりで書き進めているのですが、不思議と繋がっていくんですよね。それが面白い。
          いつもご愛読、ありがとうございます♪

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