「高野山」へ

 先日、新型コロナウイルスで亡くなった人々の追悼や、早期終息を願う法会が、高野山の壇上伽藍(だんじょうがらん)で営まれた。というニュースがあった。1200年程前に疫病が流行した際、高野山を開いた空海が当時の嵯峨天皇に「般若心経」の写経を勧め、その功徳を講義したところ、疫病がすぐに鎮まったという逸話がある。
 私は昨年末、コロナウイルス騒動の前にお参りに行った。シーズンオフで平日、高地のため寒い場所なこともあり観光客も疎らでちょっと寂しかった。
 高野山へは大阪難波から南海電車で向かった。高野山は800m程の山の上の盆地にあり、近づくにつれ電車は山の中をゆっくり登る、途中真田真幸・幸村親子が幽閉された九度山の駅、昔はこの辺りにある「町石道」と呼ばれる道(熊野古道の一部)を歩いて高野山を目指した。現在は途中でケーブルカーに乗り換え山上の高野山駅まで登る。

 お参りエリアはここから更にバスで登るが、昔の巡礼道に沿うなら「大門」まで行って下車、ここから「壇上伽藍」~「奥の院」へと巡る。バスは途中街中を通るが、山の上に街があるのには驚く、「天空の宗教都市」とも呼ばれる由縁だ。

「壇上伽藍(だんじょうがらん)」エリア

 地面から少し高い位置に、伽藍(僧侶が修行をする場所)の建物が建っているので「壇上伽藍」と呼ばれている。
金剛峯寺を中心に高野山の象徴的なお寺が建ち並ぶ。

 

「奥の院エリア」

 空海の御廟(みびょう)へつづく参道は2kmもある。大名や有名な戦国武将の墓石や慰霊碑が並ぶ参道、樹齢何百年もの杉が立ち並び、独特な雰囲気。当日は曇りがちで薄暗く時々薄日が差し込む程度、ほとんど人がいなくて、ついつい速足になってしまった。
 参道の終着は御廟入り口の御廟橋、この先は聖域、脱帽し一礼、身なりを整え引き締まる思いで橋を渡る。ここから先は撮影禁止、厳かな雰囲気が漂う。
 空海はまだ亡くなっておらず、霊廟において現在も禅定(修行)を続けているとされているため、毎日の食事と衣料が捧げられている。

 

 残念ながら奥の院では時間がなく、信長や信玄とかの有名武将の墓所を見逃した。高野山には寺院も多く、見所は他にもあり1日だけでは時間が足りなかった。いつかは「町石道」を歩いて登り、再度お参りしたい。