原発政策

原発政策が違うとかいう議論が、

自民党の総裁選でも言われていたし

いま石原新党や維新の会などでも言われているのだが

はたしてそうなのだろうか????

 

というのは、一部の政党を除いて「今すぐ全面廃止」ってのはないと思うし、

逆に未来永劫、原発を使い続けようと主張する政党もないと思う。

要は、代替エネルギーの確保さえできれば原発は即座に廃止するってので

すべての意見はそろっているように感じるのだ。

逆に言えば代替エネルギーの確保ができない状態では原発を止めたくてもとめられないってのが

普通に言われている流れだろうと思う。

それを、一義的に「原発廃止」と叫ぶか、それとも「原発維持」と叫ぶかの違いであって、

それぞれの主張を聞く限り本質的な差はなさそうな気がしてならないのだ。

むしろ、いますぐ全面廃止とか、

期限を決めて、その時期までに絶対に廃止って公約する方が、

個人的には無責任だと感じてならない。

そして、その無責任を回避するために(?)

「目標」なんてことばを潜り込ませたりしているようだ。

 

来年にでも画期的な代替エネルギー技術が開発されれば、

それでも原発維持と主張する人はいまの日本にはいないだろう。

ただそれだけのことであって、

石原慎太郎氏と橋下氏の違いという議論ではあるまい。

というか、よく聞けば両者は、安倍晋三氏も含めて同じことを言っていると思う。

 

これは憲法の問題でも同じことで、

自主憲法の制定という意味では石原・安倍・橋下の三氏は少なくとも同じだろうと思う。

ただ、それを現行憲法の規定を少しずつ変えていこうとするのか、

それとも三分の二条項があっては変えられるものも変えられないから、

それを定めた憲法自体を無しにしてゼロから憲法を自らの手で書き上げるのかの

方法論の違いでしかあるまいと感じる。

 

まさに、これらの違いは些細なことであって争点にするのは馬鹿げている。

むしろ国家間についての相違を検証できればそれで構わないと思う。

その意味で石原氏がいう「社民・共産とは生理的に合わない」ということが

最も重大なことであって、枝葉末節というよりも表現の違いをほじくり返す

不毛な議論に振り回されては全体を見失いそうに思う。