自己の死とは、身体的な自己の死を意味します。
死を有限の身体的自己の死の意味だけでとらえるならば、死はすべてが絶対無になることといえます。
しかしながら、ひとつの自己が、その輝く生のうちに作り上げ、創造したもののすべては、作り上げた造形物として、またその人の求めた心もすべて世界に包摂されて生き残っていきます。「いま・ここ」の目の前に現前する世界とは、過去の歴史・文化の遺産そのものといえます。死者の復活とは、現在にまさに生きている過去の影響の自覚のことといえます。
世界の至るところに過去が今を形成しているのです。
あまりに当たり前の出来事だけに気づくことが案外難しいことといえますが、過去は未来を創造する現在として、現在に含まれてあるといえるのです。