#31 春の訪れ、きみとの別れ

今日、ふとしたタイミングで昔なくした指輪のことを思い出したので。

わたしの高校は美術コースがある高校で、校内に金工室なるものがあって、わたしはその上で絵を描いていることが多かったのですが、高校3年のとき金工の授業を選択できたので自分で設計したミルクパンを作ったりしてました。

詳しくは忘れたけど、たしか、その授業の一環なのかなんなのか、卒業前の特別授業みたいな感じで指輪を作らせてもらったことがあります。

そのとき、先生も好きだったし、授業も楽しかったし、毎日眠り姫と言われるくらい授業で寝ることしかしてなかったわたしも、(もちろん美術の授業も好きだったけど)この授業のときばかりは目をぎらぎらさせて、叩かれて伸びていく金属のしなやかさと一心不乱に向き合っていました。

叩いて、熱して、冷まして、なんでもなかった金属の棒が、自分の理想の形になるのがもうたのしくてたのしくて。

純銀製で裏に刻印を自分で打って、つるつるに磨くのか、模様をつけるのか、みんな多種多様なデザインを先生と相談しつつ模索して、わたしは金槌で打った表情をあえて残すような感じで完成させました。

そのころピアスも開けてないし、ブレスレットもつける習慣もないうぶな高校生が、アクセサリーとして指輪を持つのはなかなか鼻が高かったというか、なんだか指輪は契約を示す意味でも使われてたりして身につけるにはまだ早いようなイメージがあったけど、自分で作った指輪はさすが。ぴったりくるのでよくつけていました。

技術もなかったので、一般のものと比べると2倍くらいの厚みのかなりゴツい見た目でしたが、それなりに気に入っていて、なにより、「それどこで買ったの?」と聞かれたときが一番うれしい。

むしろ聞かれたいがためにつけていたような気がしなくもないけど、大事な日には必ずつけてました。

けれどそんな指輪もいまはどこにいるのやら。なくしました、はい。

それなりにショックでした。たしか大学のとき、当時の彼氏と町田の温野菜で食べてた日になくしたんです。あー虚無。

ずっとポッケに入ってると信じてたのに、いざ探すとない。お店に行って聞こうにも、そのときすでにおとといのことだったから「わかりません」って、そりゃそうだわな。誰かに拾われたのかもしれない。

いつも右手につけてたから、箸持つときに邪魔だったんです。って言い訳したところで出てきてくれるはずもなく。あのとき、ポッケを探って入ってるかどうか確認したらよかったなとか、後悔は募りますが、どう考えてもポッケにしか入れることがなかったから、もう自信満々でポッケにいると思ってたんです。

しょっちゅう部屋であれがないこれがないって探すことはあっても大抵忘れた頃に出てくる。けど、これはもう「一生レベル」でなくした、っていうのが直感的にわかった。ああー喪失。

だけど本気で、どっかのオークションで出てるんじゃないかと思ってます。純銀の刻印入りだし。

出会えたらいいなと思うけど、それほんとは私のなんです!っていったところで信じてもらえるわけもなく、何人もの知らない人の手を渡り歩いたあげく、結局お金出して買わないといけないのはそれはそれで複雑。

思い出だけでも大切に、と思うけど、やっぱりここにないのはさみしいし、いまでも会いたい。これはきっと失恋に似てる。物はないけど、要はいまでも宝物。

いまでも指輪はたまにつけるけど、なくしてもたいしてショックは受けないと思う。もしかしたら同じのが売ってるかもしれない。だけど、つくった、とか、もらったとか、自分に密着したストーリーがものにあると、人ってそれこそ自分の一部を宿すみたいに長く愛着を持つんだな、と思いました。

だからこそ人にものを贈るときは長く使えるものを贈りたいし、それなりにストーリーをしっかり考えたい。

わたしが将来、ここの時計を自分で買って大切な人に贈りたいと思ったのは、きっとこういうことなんだろうな、とはじめて理解できた気がしました。

春がきましたね。さいきん夜が寒くなくてたのしい。

あっという間に散った桜はもう次のステップに進んでいるというのに、お酒をのんで、もやもやと夜ふかししてしまってるわたしをゆるしてくれー。