ふるさと納税から見る自治体間競争の未来:政策編

はじめに

普段から私は考えごとをしている。テーマはいろいろで、しかも並列に考えが進行しているので、あちこち脱線だらけだ。そして、ふとしたことで考えがつながったり、忘れてしまっていたことを思い起こしたりする。
今回もふと思い出した考えを書いておく。きっかけはふるさと納税に関する記事だ。

ふるさと納税、勝ち組・負け組 町税超す収入、都心は…(asahi.com)

記事によると、ふるさと納税という制度による「寄付」という原則を見失っている地方自治体が多いとか、ふるさと納税により都内の自治体の税収が地方の自治体に流出しているなどの課題があるらしい。
ただ私は、ふるさと納税という制度に大きく期待をしている一人である。個人的には自治体が健全に運営できる一つのモデルになりえるのではないかと考えるのだ。

自分のこと

現在の私は東京と地方(九州)の二重生活(現住所地を加えると三重生活)を送っている。先日の国勢調査では居住日数の多い方で調査に答えろという指示があったので、九州で調査に応じた。
九州での私の居場所はごく普通の地方都市であり、過疎地ではない。この地で息が詰まりそうになる頃には東京に行き、東京でしんどい思いをする頃には戻っているという絶妙なペースで生活している。そしてこのペースにすっかり馴染んでいる。
私自身が地方出身者だし、この歳になると大都市圏で暮らす魅力が色褪せつつあるのは間違いない。どちらかというと大都市は嫌いじゃないし、文化の脈動を感じ取れるところは他の地域にない優位性だと思う。
なので、単に私の行動範囲が広がったことで、都市部に住まなければならない理由が薄れてきたという言い方がふさわしいのかもしれない。
本当に貧しかった時代(今もけっして裕福ではありませんが)、大都市にしがみつく理由は「チャンスの多さ」だったのではないかと思う。
人によりチャンスのとらえ方は違うけれど、私の場合のチャンスとは、人との接点の多さ、ビジネスの市場の数と大きさ、接触できる知や文化の質の高さなどと強い相関があると考えていた。そして当時は地理的な条件がそれらを支配していたように感じていた。
実はその考えが正しかったのかは判らない。けれども、こうして私はここにいる。

ふるさと納税

現住所地とは異なる場所で相当な日数の生活を送っているにも関わらず、行政サービスの対価を納めていないのも変なので、今年から本格的にふるさと納税をしている。
「本格的に」というのは、昨年までも少しだけふるさと納税をやっていたのを、今年はその額や納税(寄付)先について明確な意志をもって決めているからだ。
住民税の納付が特別徴収(給与から天引き)だと、あまり意識されないのかもしれないが、普通徴収(納付書による支払い)だとその金額を見るたびに、
「自分はこの自治体とどの程度の関わりを持っているのだろうか」と考えてしまう。
もちろん自治体の基本的な行政サービスに不満があるわけではない。所得に応じた税負担が相互扶助の役割を果たし、住民間の格差を緩和することも理解できる。でも、何か引っ掛かりを感じてしまうのだ。

地方行政における私の仮説

この引っ掛かりが何なのかを考えていて、一つの仮説を立てた。
住民は地方行政を二つの視点で捉えているのではないか。その視点とは、

  • 執行者
  • 経営者

である。
執行と経営の分離というのは、経営学における一つの考えだが、地方行政も同じであるということである。
執行者とは行政機関として行政事務や行政サービスを執行する者としての役割を、経営者とは行政機関そのもの、そして自分の権限が及ぶ地域全体のあり方を決める者としての役割を住民は求めているのだ。
ちなみに住民が地方行政に対して影響力を行使する方法として代表的なのが「選挙」である。首長の選挙もあるし、地方議会議員の選挙もある。住民は選挙を通じて、直接的な執行者、経営者となる首長を、間接的に執行者、経営者に影響を与える地方議会議員を選ぶ。
ここで執行者、経営者と一括りにしたが、実際にはこの2つの視点を別々に考えると興味深い推察が可能となる。
まず、執行者の視点から考えよう。住民の関心事は行政サービスをいかに提供してもらえるかであり、その観点で候補者を選ぶと仮定する。ところが、行政機関が執行者として担う行政サービスは、その多くが法律に定められた自治事務か法定受託事務に基づくものであり、誰がやっても同じになるはずなのだ。
もちろん細かな差異はあるのだが、それらは執行時にどの分野を重点的に行うのかという優先順位付けの問題、つまり経営者の視点に帰着する。
経営者の視点から、活用できる経営資源(ヒト、モノ、カネ、情報)をどのように充てていくのか、ひいてはどのような行政機関を目指していくのかを示すのが「政策」である。本来、選挙では候補者が示す政策が有権者の考えに近いか否か、さらに近い考えを示す候補者の中から最も実現能力がありそうな者を選ぶことが、民意を反映する道筋なのではないかと考える。
ところが率直に言えば、地方行政では候補者間の政策が際立つような選挙が行われにくいような印象を受ける。投票率も高いとは言えず、本当に民意を反映できているのかというと、やや心もとない。
候補者が選挙において示す政策が中庸化していくのは、アンソニー・ダウンズの投票モデルに関する研究(Downs, A. 1957. An Economic Theory of Democracy. Addison Wesley.)からも説明できる事象である。玉虫色の政策を示さないと有権者からの支持が得られないのだ。結果、私の仮説が正しいのならば、有権者自身が政策を選択できるチャンスも失われてしまい、有権者は政策に対する関心も失うことになる。あるいは順番は逆かもしれないが。

引っ掛かりのポイント

と、ここまで考えてみると、前述した私の「引っ掛かり」とは、どうやら行政サービスの細かな差異や行政機関が何を目指すのかという経営者の視点によるものにあるようだ。
自分の住民税は「誰がやっても同じ」行政サービスに費やされ、政策に対する明確な意思表示の自由が結果として奪われていることに腹を立てているのかもしれない。
つまり、基本的な行政サービス以上のことは、こっちで選ばせて欲しいということなのだと自分の中では整理している。
ということで、ふるさと納税の話に戻る。

選挙に代わる意思表示の手段としてのふるさと納税

見出しだけで、もう言いたいことに気づいてもらえると思うけど、選挙が機能しないのならば、ふるさと納税を使ってみては? というのが私の考えだ。
本来、居住地の政策が気に入らないのならば、引っ越すべきなのかもしれない。だが、現実的にはそれも難しい。上述したとおり、その地に居住し続けるのは、自治体の政策とは全く無関係であるそれなりの理由(私の場合には「チャンスの多さ」だったり「携わっている仕事そのもの」だったりする)があってのことなのだから。
それに(繰り返しになるけど)行政サービスの本質的なところには不満はないのだから、住民税額の20%までを別の自治体への寄付という形で引っこ抜くぐらいは妥当な範囲だと個人的には思っている。
それでも引っこ抜かれる自治体はたまらないだろう。事実、上述した朝日新聞の記事では、こう書かれている。

制度が拡充される中、担当者は「今後、減収は5億~6億円になるだろう。無視できる額ではない」と危機感を抱く。15年度の一般会計は1141億円だが、5億円は小学校の給食に区が支出する額に匹敵する。

これは港区の事例。ちなみに私は港区と浅からぬ関係にあるが「減収をあれこれ言うのならば、政策で勝負してみせなよ」という気持ちである。ちなみに私自身は港区の政策(特に情報政策)を評価しているので(そりゃそうでしょうよ)、港区へもふるさと納税をする予定である。
返礼品の競争が過剰になるのはどうかと思うけど(この件については次回書く予定)、政策への評価が予算という形でダイレクトに反映される制度は、行政経営に対する緊張感をもたらし、結果的に良い方向に進むのではないかと期待している。

地方創生と地方分権は似ているようで違う

住民税の納税先を享受する行政サービスとは別の観点で選択できる時代になることで、ふるさと納税(寄付)を受けやすくするための自治体間の競争が激しくなることが予想される。
ふるさと納税を受けるためには、他の自治体と政策上の違いをアピールしなければならないのだ。これは競争戦略の用語でいうと「差別化戦略」に該当する。政策について差別化を図るということは、横並びの行政経営を辞めるということである。新たな取り組みを増やして差別化するのでは、リソースがいくらあっても足りない。つまり、新たな取り組みの代わりに何をやらなくするのかを明確に示す勇気が必要となる。
最近の地方創生というキーワードでの取り組みでは、いくつかの地域でうまくいったとされる「先進事例」を模倣し、さらなる先進事例を生み出すことを期待されている。
いずれこれらの先進事例も全国的に模倣されることになるのだろう。そして、どこの自治体でも似たような取り組みが始まるのだが、日本の人口の総数が大幅に増加することはないので、結局はゼロサムゲームが始まるだけのような気もする。これって、本当に地方のためなのだろうか?
一方、行政機関が主体的に他自治体との差別化を図り、自分たちでやれる範囲を拡大するよう国に働きかけるというのならば、それは地方創生ではなく地方分権の話となる。そして残念ながら地方分権はなかなか進んでいない。
例えば、原子力発電所の再稼働に踏み切る自治体があるとして、あるいは米軍基地の移転の当事者となる自治体があるとして、または大規模災害による復興に取り組んでいる自治体があるとして、自分自身もその考えに賛同できるのならば、住民でなくともその自治体にふるさと納税をして支持することは有効だろう。逆に住民でありながらその考えに賛同できないのならば、他の自治体にふるさと納税をすることで意志を伝えることもできるはずである。(というか、こういう動きはすでに行われているような気がする)
ある意味、国の想像を超えて、国と異なる考えを持って地方が差別化を図っていくというのならば、個人的には応援したいし、そのための手段としてふるさと納税を大いに活用していきたい。

まとめ

ふるさと納税については、別の観点から似たような記事をこれまでも書いている。できれば併せて読んでみて欲しい。

自治体クラウド? 歴史は繰り返すのだ。

次回はふるさと納税をマーケティングの観点から考えてみることにするよ。