キングダムの政=始皇帝は、実際!原作漫画や映画(吉沢亮)のような容姿だったのか?【検証!春秋戦国時代】




キングダム

中国全土に割拠した六国(趙魏韓楚斉燕)を平らげ、紀元前221年に全国を統一した嬴政による秦王政は、この大業の成就を後世に伝えるためには、それにふさわしい君主の称号が必要だ」として、新たな称号を求めました。

その結果誕生したのが「皇帝」という称号です。それに後に「始」が付けられ、政は始皇帝と呼ばれるようになりました。

では、この始皇帝は一体どのような容貌をしていたのでしょうか。漫画『キングダム』の政のように、あるいは映画の吉沢亮のように、カッコイイのか?つまりイケメンだったのでしょうか?実際はどうだったのでしょうか。

始皇帝のイメージ

明代に編まれた『三才図会」という図入りの百科事典に始皇帝の肖像があり、その姿は威厳はあるものの、じつに神経質そうです。

ただ、この絵は肖像画とはいえ、1000年以上も後世になってから描かれたもなので、事績や当時の記録をもとに想像で描かれたものでしょう。

なぜ「冷酷無比」になったのか?

実は『史記』には、実際に始皇帝に会った二人の人物の 「証言」が記録されています。

そのうちの一人、始皇帝に仕えた大梁(たいりょう)の尉縦(うつりょう)という人物によれば、

秦王の鼻は蜂準(ほうせつ。高く尖っている)にして長目(ちょうもく。眼は切れ長)、胸は鳥膺(ちょうよう。鷹のように突き出ている)。声は豺(やまいぬ)のようだ」と語り、

その性格は「人情味に乏しく、虎狼の心を持つ」と評しています。

なんとも恐ろしげな異相といえるでしょう。そこからは冷酷な人物像がうかがわれ、ここから「始皇帝=冷酷な暴君」というありがたくないイメージが定着してしまったようです。

実際の容姿は不明ですが…

実際に始皇帝がそのような風貌だったかは不明ですが、こうした描写を、歴史学者の稲畑耕一郎氏は、始皇帝を冷徹無比な人物として恐れる心から生まれた結果ではないかと分析しています。

そもそも秦は、戦国時代、東方諸国から 「孤狼(ころう)の国」と言われていました。

『史記」に「親しむべからず」とか 「天下をを呑(どん)する心有り」「信ずるべからず」 といった表現があり、中原諸国の奏の風土文化に対する恐怖感が見え隠れしているのです。

そうした国を統べる王であり、若くして全国統一を成し遂げた始皇帝に対する畏れの気持ちが、こうした容貌のイメージを生み出したのかもしれません。

参考:『始皇帝と戦国時代』KAWADE夢文庫など

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