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宮澤喜一死去

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日本の「戦後社会」というのは、たぶん歴史的に見て
後世からすると、相当に興味深い時代だったといわれるだろうと思っています。
アメリカという世界最強国と正面から戦って、
惨禍を極める未曾有の大敗北という戦争結果を受けた中から、立ち直っていくプロセス。
そのなかで、その経緯のさまざまな局面で、
宮澤喜一という人物は登場し、ときには重要なバイプレーヤーになったり、
ときには主体的な存在になったり、ときには後ろ盾になったりしてきた。
まだ、同時代という混沌とした状況の中にあるので、
かれが、一体どのような存在であって、本当に果たしてきた役割はなんだったのか、
という部分では、「蓋棺録」のようなものは、まだまだ、正しく書かれないと思う。
というか、その存在はかなりの長い時間にわたる活動であったので、
夥しい資料や文献記録が残されていすぎて、
歴史家というのは、これから相当に苦労するだろうと思います。
わたしも、知っている人、というわけでもありませんが、
事跡から見て、戦後社会の中で、その中心的な存在だったということは認識しています。
戦後を一番大きく規定してきた、アメリカとの関係において、
その基本構図や、運営過程の相当大きな部分にかれは関わってきたことが明白。
アメリカ側から見て、戦後の日本との関係で、
具体的に浮かんでくる政治家として、
相当長期にわたって、かれというパイプは確実なものだったろうと思います。
公式的な日米関係の詳細な記述文書などにも、どう書くべきか、決めるべきか、
一貫して関わってきたのだろうと思います。
国内政治の世界では、かれ自身は、あまり権力欲が大きいタイプではなく、
むしろ、保守本流のグループの中で、推されて権力闘争にも参加した、
というような部分があったと感じます。
歴史というのは、常に「権力」のありかを中心に記述されるもの。
という考えからは、かれはどうもそのようなタイプではないと思う。
しかし、今現在でも、同時代に権力を争った政治家たちとは
かなり違った存在感で、伝聞されてきている。
権力闘争という部分とは別に、日本の進路・戦略はどうあるべきか、
という論点では、つねに最重要人物として特定されてきた。
一代の「権力風見鶏」と思われる中曽根康弘が
かれの葬儀に、いちばん初めの「参列者」として記載されている、
という事実から、今後、かれの事跡があきらかになるにつれて、
その巨大さがあらわになっていく気もします。
そのプロセスで、戦後社会、という時代の特定・対象化が
ようやく行われるようになると思いますね。
結局そういうことが、究極的には、戦後憲法とはいったいどのようなものだったのか、
という正しい論議が、巻き起こっていく契機になればいいと思う。
そういう意味では、死ぬ時期も正しかったように思えます。

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