“ブラックアウト:
記憶を失うこと。一時的な記憶喪失。 また、一時的に視覚や意識を失うこと。”
どうやら、気の遠くなるような昔話をすることになりそうだ。
なにせ17年前の記憶だ。ひどく曖昧でぼんやりとしている。何の記録もないし、名前すらもない。ただ今思えば―――あの頃は割れたガラスを触り合うみたいに、お互い血まみれだったね。
あれから海をこえ、知らない国へわたって、再びこの地へやってきた。もう二度と交わらないと思っていた。縁(えにし)かな、なんとも形容しがたい数奇なめぐり合わせだ。まるで幼い頃に海で拾った、丸っこいビーチグラスのようなあどけなさ。綺麗にくすんでて向こう側が透けて見えない。もう触っても痛くないよ。今となれば、愛おしい記憶のかけら達。でも、亡くした。
そんな混み入った事情だ。少しばかりの捏造は許してほしい。悪気はないからケラケラと笑って聞いてほしい。いつだって過去は美化されるものだ。ただし、ひとつだけ約束しよう。ここはある意味で、彼女の〝墓前〟だ。僕は正直に語ることを決して厭わない。知ってる、あなたに墓なんて似合わないって。メタファーは言葉のあやだ。先にも言ったけど、細かいことはいいんだ。
その前に、少しだけ星の話をしよう。この長い17年間のタイムトンネルをくぐるには、ある種のトリガーが必要だ。さあ、悠久のときを経て、今こそ真実を呼び戻す時がきた。これよりその為の通過儀礼をはじめよう。それでは2008年宇宙の旅へ。よーい、ブラックアウト。
宇宙では、光が1年間に進む距離のことを「1光年」という。光って、実はめちゃくちゃ速いスピードで進むんだ。1秒間になんと、地球一周旅行を7~8回しちゃうくらい。ものすごく速いから、光はあっという間に遠くまで行ってしまう。だから、逆に考えると「1光年」先って、ここからめちゃくちゃ遠いところにあるんだ。ざっと計算してみると、1光年先(1年)の距離は約9兆4600億km。そして17光年先(17年)になると160兆8200億km。ぜんぜんピンと来ないよね。簡単に言うと、それくらい意味わかんないくらい、はるか遠くで息づいている昔話をしようとしてるってことだよ。ちょっと難しい言葉でいうと〝時空幾何学〟っていう考え方なんだけど。いま流行りの言葉でいえば〝世界線〟とかね。まあそれはさておき、そろそろ天文学的な観点から、できるだけわかりやすく結論を言おう。
たとえばこの地球から17光年先にある星で、有名なのはアルタイル星(わし座α星)。星が好きな人なら、聞いたことがあるかもしれない。そう、七夕物語で出てくる、ベガ(織姫)とアルタイル(彦星)だ。天の川の話なら、きっと馴染みも深いよね。じゃあ、これから望遠鏡を覗いて、わし座の恒星アルタイルを天体観測してみよう。運よく見つけることができたなら、そのしろがね色の星の輝きは、今から約17年前の光を眺めていることになる。つまり、その星は時空を超えて存在しているんだ。こちらの世界とあちらの世界では、まったく異なる時間と空間で動いているってこと。そしてこの望遠鏡から見えるその小さな光こそが、あちら側の世界へとさかのぼるための、唯一の方法なんだ。
ちょっと長くなっちゃったね。それじゃあ、準備はいい?これから、はるか17光年先で煌々と瞬いている、タイムトンネルの向こうで息づいている、ちいさな世界線のドアを開けよう。これでようやく17年前の過去へアクセスできるようになるんだ。きっと望遠鏡の向こう側には、あの日のままの空が広がっているはず。星の話はここで終わり。ご清聴ありがとう。それでは、いってらっしゃい。
2008年。冬―――。
世界はホワイトアウトした。
原色の空。翳るひつじ雲。分度器の観覧車。
真っ暗なコスモス。止まったシャボン玉。水面の乱反射。
そして電線、電線―――。
トイカメラの向こう側にある景色は、こんなにも寂しくって、君の目にはきっと、世界はこんな風に映っていた。
写真は自分自身の〝投影〟だ。ここは彼女のファンタジーだ。ひどく解像度の低い世界にしばし思いを馳せる。幽玄なる夢幻へ誘われて。
2008年2月18日。
眼前に見えてくるのは、紛れもない、あの白昼の葛西臨海公園だ。あれはよく晴れた、風の強い日だった。噴水のある駅前のロータリーは、びゅうびゅうと強い横風に晒されている。きっと、はじめてのデートには不向きだ。ただその日はデートとは少し違った。その空模様は、いささか平成期の僕のSentimentalisme(サンチマンタリスム)に影響した。そうつまり、僕たちの初めての出会いはひどく感傷的なものであった。
噴水の前で黒い髪をなびかせながら、一人の女の子がそこに立っていた。遠くから見える彼女は、自然と口元が笑っているようにも見えた。口角の上がったアヒル口。切れ長で、カラーコンタクトではない大きな黒目。足元には冬のブーツを履いている。寒空の下で、彼女はコートのポケットに手を突っ込んだまま、笑って僕に「はじめまして」と挨拶をした。今まで会った女の子とはなにかが違った。はじめて出会った時からそう感じていた。それから、僕たちは一緒に公園を歩きはじめた。
初めて会うキッカケとなったのは、彼女からの誘いだった。「あなたの写真が撮りたい」と言われた覚えがある。へえ、はじめて会うのにそんな誘い方ってあるんだ。大体女の子って、ハンバーガーが食べたいとか、カラオケに行こうとか、そんな風にカジュアルに言うじゃん。でも、それだったらきっと僕たちは出会ってなかったね。当時の僕はひどい鬱に苛まれていて、とても友人知人に会えるような状態ではなかった。でも彼女は少し違ったから、僕も興味を持った。だからこそあの日、偶然に出会えたのかもしれない。
葛西臨海公園は彼女のリクエストだった。なんでもお気に入りの場所だそうだ。散歩中、僕らはなんだかちぐはぐな並び方で公園を歩いていた。彼女はまるで歩調を合わせない。勝手にてくてく歩いていく。まったくデートに見えないところが、良い。しかもお互いにぜんぜん喋らない。初対面でこんなにも会話がないなんて、不思議なものだ。でもなんでだろ、ミーコはニヤニヤして歩いてる。そして彼女は、おもむろにリュックからトイカメラを取り出し、不意にその瞬間———撮った。その一瞬を切り取る、彼女の撮影スタイルは独特だった。彼女は、片手でぱっとカメラを出しパシャッと撮る。モーション早っ。そのコンマ3秒くらいの身のこなしは、なんというか僕には少し雑に見えて・・いや、訂正しよう。彼女はとても〝感覚的に〟シャッターを切る。でもその方が、後から写真を現像する時にとてもいい雰囲気になっていて、それが楽しみなのだそうだ。なんていうか、あんまりいないよね、君みたいな子。
途中の売店で、瓶のお酒を買った。初対面で白昼堂々、いきなり酒をやる気だ!ミーコらしい。ちなみに彼女は「アル中」と言われるとすごく嫌がるので禁句(タブー)なのである。大きな橋を渡って、土管のトンネルの横を抜け、海の見える防波堤にたどり着いた。そして海を見ながら、ふたりでお酒を飲んだ。東の空にはディズニーランドが見える。ディズニーランドよりもここ(葛西臨海公園)の方が、君には似合ってるね。彼女はふと思い出したように、少し遠くに離れて僕の写真をパシャパシャと撮っていた。
彼女には自傷する癖があった。切っているのがどこの部位かは知らない。ただ「あたし、手首じゃないんだ」って言ってた。きっと、誰にも見えないところを切っていたのだと思う。そういうところがある種、救いようのない彼女の性格を表していたように思う。自傷癖のことを知っていた僕は、その日彼女に会う前にいくらかの買い物をしていて、お酒を飲みながら彼女にそれを渡した。
「これ、あげる。」
「なーに?」
それは赤色のサインペンだった。身体を切りたくなった時に、このペンで線を引いてみるのはどうかな?血が滲むように見えたら、心が落ち着くかもしれない。そんな簡単なことで気休めになるとは、到底思えないけれど。
「もし、また切りたくなった時は、このペンを使ってみて」
彼女は、僕にありがとうと言った。そしてそのペンを「命のペンだ」と喜んでいた。彼女は普段、感情をうまく表に出せない。本人もその事をよく自覚していた。それでもお酒を飲んだときだけは、感情が出てしまう、そして時として大切な人を傷つけてしまう、という。彼女にとってお酒は、感情を外へ出すために必要だが、ときに制御不能となる、ある種の〝劇薬〟なのだ。
帰りの水族館で、彼女はペンギンのお腹をパシャパシャ撮った。水槽の下にしゃがみ込んでカメラを構えていた。彼女のフィルターごしに写る水面は、まるで天の羽衣のように美しく光を乱反射させた。ゆらゆらきらきらして綺麗。あたしもあんな風に自由に生きられたらいいなって。そう笑っていた。
そうだあの日、彼女の写真の一枚でも、僕が撮ってあげれば良かったのに。肝心なときに気が回らない。自分ばかり撮ってもらって、彼女のことは撮らなかった。そしてその日に限らず、僕たちは何でふたりの写真を一枚たりとも残さなかったんだろうね?あれだけ共にあやふやな時代を生きていたのに。きっと僕たちが会うのはいつもふたりきりで、そこに名前すら持たない関係だったからかもしれない。悲しいかな、そしてそのシャッターチャンスはもう永遠に訪れることはないのだから。
僕たちは、葛西臨海公園で待ち合わせて、葛西臨海公園で解散した。
そして一年後―――。2009年。春。
生き永らえた僕と彼女は、ふたたび再会することになる。そう、あれは思い出せば狂おしいほどに咲き乱れた、あの桜の下だった。