3月下旬から4月初旬にかけては、家族の用事もあって間を置かずに東京へ出かけることになりましたが、その際にいくつか演奏会を聴けたのは幸いでした。とくに3月22日にゲーテ・インスティトゥート東京で開催されたアウレウス三重奏団と青木涼子さんによる「WELTENTRAUM~世界をつなぐ音楽」は興趣に富んでいました。一つの流れのなかで多様な夢の世界を巡り、夢見ること自体を掘り下げる演奏会でした。クラリネット独奏のための《エディ》をはじめ、細川俊夫さんの作品を二曲聴けたのも貴重でした。青木さんのパフォーマンスをつうじて、言葉と音楽が身ぶりとともに結びつくなかから生じる出来事を、その気配から感じることができました。この演奏会の批評がMercure des Arts Vol. 103に掲載されました。
27日には、最近『声の地層──災禍と痛みを語ること』(生きのびるブックス)を出された瀬尾夏美さんが仲間たちと進めている「カロクリサイクル」プロジェクトの拠点である西大島のStudio04で開催されていた写真と詩の展覧会 『New Habitations: from North to East 11 years after 3.11』 in Tokyoを観ることができました。東日本大震災の発生から13年が経とうとしているわけですが、この展覧会では、写真家のトヤマタクロウさんが2022年に「復興」しつつある被災地を回って撮影した写真の数々に、瀬尾さんの詩が添えられていました。その一つひとつを見ると、ある場所に留まるとはどういうことか自問せざるをえません。
4月15日:ウェブ批評誌Mercure des Arts第91号に、ヴィーンのレオポルド美術館の所蔵作品を中心に、2023年1月26日から4月9日にかけて東京都美術館で開催された展覧会「エゴン・シーレ──ウィーンが生んだ若き天才」の短評が掲載されました。自画像ないし自画像的な作品を焦点にシーレの作品の美を論じつつ、それを同時代の絵画の布置のなかに位置づけた展示の方向性を紹介する一方で、シーレと今回作品が取り上げられた画家との関係が掘り下げられていないという問題点も指摘するものです。
5月15日:ウェブ批評誌Mercure des Arts第92号に、2023年4月13日にアクロス福岡シンフォニーホールで開催された九州交響楽団第411回定期演奏会の批評が掲載されました。いずれも同時代の戦争を背景に書かれたオネゲルとベートーヴェンの交響曲第3番の演奏が、二人の作曲家の人間への洞察を、作品の抗争的な側面とともに力強く伝えていたことを焦点に据え、死者への哀悼にもとづく切々とした祈りが、オネゲルの交響曲の緩徐楽章の表題にあるように、「深き淵から」響いていた点にも触れました。
6月15日:ウェブ批評誌Mercuredes Arts第93号に、2023年5月20日に銕仙会能楽研修所で「追善・一柳慧」と題して開催された青山実験工房第7回公演の批評が掲載されました。芸術家が領域横断的に協働する実験工房の精神が、能舞台において一柳慧の芸術に捧げられた公演の意義を論じる。とくに魂の邂逅の出来事を、時間が重層化し、波立つ空間に繰り広げたバーバラ・モンク゠フェルドマンの《松の風吹くとき》と、髙橋悠治の《夢跡一紙》が初演に注目しました。本公演は、Mercure des Artsの第9回年間企画賞の第3位に選ばれました。
7月15日:ウェブ批評誌Mercure des Arts第94号に、堀朋平さんの新著『わが友、シューベルト』(アルテスパブリッシング、2023年2月刊)の書評が掲載されました。現代にも通じる激動を人々が経験した19世紀初頭の精神史的な布置のなかに、シューベルトという作曲家を愛すべき友として浮かび上がらせるとともに、その音楽の魅力を繊細に、かつ踏み込んだ視点から解き明かす一書として紹介しました。
8月6日:Setouchi L-Art Projectとして福山のiti SETOUCHIで開催された福田惠さんの個展「一日は、朝陽と共に始まり、夕陽と共に終わる」のクロージングに際し、福田さんの祖父さまの1945年8月6日の記憶に光を当てた映像作品が上映された後、アーティストおよびこのプロジェクトのディレクター菅亮平氏とともにトークに出演し、展覧会と映像作品の特徴と意義について語りました。
8月15日:ウェブ批評誌Mercure des Arts第95号の「プロムナード」に、「真夏の花の美学」と題する小文が掲載されました。カンナ、夾竹桃といった真夏の花の記憶に触れつつ、今夏福山で開催された福田惠さんの個展を論評し、ベンヤミンの美学にもとづいて芸術と技術の関係を論じる。現代における芸術批評の課題にも言及するものです。
8月15日:Mercure des Artsの第95号に7月27日にアクロス福岡シンフォニーホールで開催された九州交響楽団第414回定期演奏会の批評が掲載されました。リヒャルト・シュトラウスの楽劇《サロメ》の音楽の魅惑と躍動が説得的に伝わってきた今回の上演の意義を論じるものです。「七つのヴェールの踊り」から先のオーケストラの響きは、不協和音のそれを含め、深みがあって作品にふさわしかった一方、演奏会形式のオペラの上演としては課題が残ったと思います。
9月15日:ウェブ批評誌Mercure des Artsの第96号に、モーツァルトの『フィガロの結婚』が取り上げられた今年のひろしまオペラルネッサンスの公演の初日(8月26日)の批評が掲載されました。争いが続き、差別が積み重なって引き裂かれた現代の世界へ向けて上演されるべき作品としてこの名作を舞台に載せた公演の意義と課題を、足かけ二十年以上にわたりその様子に触れてきたひろしまオペラルネッサンスの歩みを踏まえつつお伝えしようと試みました。
9月22日:Hiroshima Happy New Earの第31回の演奏会として開催された藤村実穂子さんのリサイタルの冒頭で、シューベルト、マーラー、ツェムリンスキーの歌曲とともに細川俊夫さんの子守歌などが取り上げられたプログラムへの導入のお話をしました。
11月15日:ウェブ批評誌Mercure des Arts第98号に、「ワルシャワへの旅より」と題する小文が掲載されました。当地で開催された国際ヴァルター・ベンヤミン協会の研究集会の日程の後にポーランド・ユダヤ人博物館(POLIN)を訪れた際の印象や、帰路に就く直前にワルシャワ国立歌劇場で「コーラス・オペラ」の公演を観たときの印象を、昨今の出来事をめぐって考えることと絡めて記しました。武生国際音楽祭2023の際に出会った作曲家アンジェイ・カラウォフさんとの再会と彼の作品にも少し触れています。
ここにあるのは、1948年からのナクバの連続であり、その要因として歴史家イラン・パペが挙げる民族浄化の企図のあまりも暴力的な顕在化である。その点でイスラエルの軍隊がガザ地区で進めているのは、ジェノサイドと言わざるをえない。哲学者ジュディス・バトラーも、「われわれ(ユダヤ人)を口実にするな Not in our name」と訴えながらそう指摘していた。このことを武力攻撃の当初から執拗に医療が標的にされてきた経緯と考え合わせると、恐怖に震える。映画をつうじて見た人と人の強い絆のなかで、また海の自然との深い結びつきのなかで真剣に生きる一人ひとりの命がここまで蔑ろにされるのか。