難経三十三難では相剋関係は夫婦関係であることを学ぶ

難経 三十三難のみどころ

難経三十三難は『一見したところ何を言っているのか分からない…』といった印象を受けやすい内容だと思います。私も初めて読んだときはチンプンカンな印象を受けました。

しかし本難では木と金の関係を引き合いに出し、さらにまた金と火との関係を挙げることで『相剋関係とはなにか?』を論述しています。


※『難経或問』京都大学付属図書館より引用させていただきました。
※以下に書き下し文、次いで足立のコメントと原文を紹介。
※現代文に訳さないのは経文の本意を損なう可能性があるためです。口語訳は各自の世界観でお願いします。

難経 三十三難の書き下し文

書き下し文・難経三十三難

三十三難に曰く、肝は青く木に象る、肺は白く金に象る。
肝は水を得て沈む、木は水を得て浮ぶ。
肺は水を得て浮ぶ、金は水を得て沈む。其の意は何ぞ也?

然り。
肝は純木を為すに非ざる也。乙は角也。庚の柔なり。
大言すれば陰と陽、小言すれば夫と婦。
其の微陽を釈(と)きて其の微陰の氣を吸う。其の意、金を楽しむ。
又、陰道を行くこと多し、故に肝をして水を得て沈ましむる也。

肺は純金を為すに非ざる也。辛は商也。丙これ柔なり。
大言すれば陰と陽、小言すれば夫と婦。
其の微陰を釈(と)きて婚して火に就く。其の意は火を楽しむ。
又、陽道を行くこと多し。故に肺をして水を得て浮しむる也。
肺熟して復た沈む、肝熟して復た浮む者は、何ぞ也。
故に知んぬ、辛は当に庚に帰すべし、乙は当に甲に帰するべき也。

相剋関係とは夫婦(めおと)の道

三十三難は五行論について詳述しています。第一幕は木と金を主人公として話が進みます。

乙木と庚金

木は人体においては肝胆、天干においては甲乙です。本文で「乙」とあるのは木陰のこと、すなわち肝のことです。「乙角」とありますが、木陰の乙に角は木の音を表わします。
同じく金は人体にて肺大腸、天干において庚辛です。本文では「庚」とありますが、これも金陽・大腸を示します。

「乙は角也。庚の柔なり(乙角也。庚之柔)」とあるのは、乙は木陰であり、庚金に剋される立場を表わしての“柔”という表現です。
この乙木(木陰)と庚金(金陽)の関係は、大きく言えば陰陽関係であり、五行で言えば相剋関係であり、表現を変えると夫婦関係なのです。
ここまでが第一の前提条件です。

微陽と微陰

「其の微陽を釈(と)きて其の微陰の氣を吸う。其の意、金を楽しむ。(釈其微陽而吸其微陰之氣。其意樂金。)」とあります。
この文は何を意味する文なのでしょうか?
『まるで暗号…さっぱりチンプンカンプン…』という人あり、『読める読めるゾ!』という人ありでしょう。

微陽とは甲木、微陰は庚を指す、と岡本一抱は指摘しています。
とその前に、この文の主語は乙木(肝)です。
乙(木陰)はその微陽である甲(木陽)を釈きます(解放・手放す)。その空いたポジションに庚(金陽)を吸う(招き入れる)のです。これによって乙と庚、木陰と金陽のカップリングが成立します。

このストーリーを読んで化学の分子結合やその反応を連想するのは私だけでしょうか。

相剋関係を楽しむ

そして乙木は庚金を招き入れることで金の性を帯びます。それが「其の意、金を楽しむ」です。
楽しむという表現はとても重要です。
三十三難のように五行を陰陽(十干)に分けずに単層的に木火土金水とみてしまうと、金と木はただの相剋関係に終わります。
しかし、五行(木火土金水)を陰陽に展開することで、木と金は夫婦関係となり、互いを剋し剋される関係ではなくなります。
むしろ「その意、金を楽しむ」の言葉のように、相手の性質を包括し、取り込むことで、五行の性質や機能に多様性や複雑性を持たせることに繋がるのです。

五行(木火土金水)だけで人体や世界を説明するには単純すぎて、セオリーが破綻してしまいます。

なぜ肝の作用には条達・疏泄と言いながらも藏血作用があるのか?
なぜ肺の作用には宣発と粛降という相反する作用があるのか?

それには五行それぞれに陰陽があること、そして相剋関係に見える他行と交流することで他行の性を帯びるというセオリーがその背景にあるのです。

と、以上の話は『難経或問』の一節にコンパクトにまとめられています。参考として記事末に引用しておきます。

さて、このように相剋関係は視点を変えると夫婦関係である!と、このような結論に至りました。

『それって臨床でいつ使うハナシなの???』と思う人もいるでしょう。

でも意外と日常でよく使うセオリーなのです。かの杉山流もその流儀書の中に、この三十三難の理論を経穴に落とし込んで論述しています。もしかしたらあなたも今日の臨床で使った理論かもしれません。
ちなみに私はほぼ毎日この理論を使っています。古人からみると浅い応用法ではありますが(汗)

難経或問三十三難の註文の一節

肝は水を得て而して沈む、肺は水を得て而して浮ぶ。其の水と言う者は何れの水を指すのか?
対て曰く、彼の腎水を指す也。

肺金は上に位し而して水上に浮かぶ。肝木は下に位して而して水部に沈む。
実(まこと)に腎下に居するに非ずと雖も、
肺金の上に浮かぶに対するときは則ち肝木は誠に下に沈むと言うべし。
故に言う肝は水を得て而して沈む、と。

曰く、其の純木純金と言う者は何ぞや?
(対して)曰く、純なるは雑(まじえ)ざる也。
肝は金氣を帯びる、純一の木氣に非ず。
肺は火氣を帯びる、純一の金氣に非ず。

又曰く、純とは純一剛建の義也。十干に陰陽有り。
甲丙戊庚壬の五つ者は陽にして其の氣は純剛なり。
乙丁己辛癸の五つ者は陰にして其の氣は柔和たり。
肝は純木の甲に非ずして、柔木の乙角に属す。
肺は純金の庚に非ずして、柔金の辛商に属す。又通ずる。
是れ所謂(いわゆる)純木を為さず、純金を為さずの意也。

曰く、大言すれば陰と陽、小言すれば夫と婦、以下云々の語に、諸氏の解説甚だ多し、何れの説を以て是と為さん?
(対て)曰く、予、愚意を以て諸説を考えるに、未だ正解を為す者有らざるなり。
夫れ此の篇は、本(もと)肺金が上部に位し、肝木が下部に位するの義を問う。而して其の上に居し下に居する所以の義を答える也。
其の大言すれば陰と陽、小言すれば夫と婦と言う者は、乙庚辛丙の四干に由りて発する此の語也。
陰陽と言うときは則ち天地に亘りて大なり。故に大言と言う也。
夫婦と言うときは則ち人物に亘りて小なり。故に小言と云う也。
其の乙庚辛丙、大言するときは則ち庚丙は陽也。乙辛は陰也。
小言するときは則ち其の陽は皆是夫の道有り。其の陰は皆是婦の道有り。
此の陰陽夫婦の義有るに因りて、己の本性を捨てて、夫の氣習に従う。
故に浮ぶべき者反て沈み、沈むべき者反て浮む。

且つ又た一義有り。
肝は血を蔵し筋膜を主りて骨節を絡する。其の主りて行う所の事は内に在りて、陰道多し。故に陰分に位して下に居るなり。
肺は氣を主り皮毛を充ちて、肌膚を薫ずる。其の主り行う所の事は外に在りて、陽道多し。故に陽分に位して上に居るなり。
其の言行陰道行陽道行字、行事之行而可做去聲、、、、

■原文

肝得水而沈、肺得水而浮、其言水者指何之水哉。
對曰、指彼腎水也。肺金位乎上而浮水上、肝木位乎下而沈水部。
雖非實居乎腎下、對肺金之浮乎于上、則肝木誠可言沈乎下。
故言肝得水而沈。

曰、其言純木純金者何哉。
曰、純者不雑也。肝帯金氣、非純一之木氣。肺帯火氣、非純一之金氣。
又曰、純者純一剛建之義也。十干有陰陽。甲丙戊庚壬、五者陽而其氣純剛。乙丁己辛癸、五者陰而其氣柔和。
肝者非純木之甲、屬柔木之乙角。肺者非純金之庚、屬柔金之辛商。又通。
是所謂不為純木、不為純金之意也。

曰、大言陰與陽、小言夫與婦、以下云々之語、諸氏之解説甚多、以何説為是哉。
曰、予以愚意考於諸説、未有為正解者焉。
夫此篇者、本問肺金位上部、肝木位下部之義、而答其所以居上居下之義也。
其言大言陰與陽、小言夫與婦者、由乙庚辛丙之四干而發、此語也。
言陰陽則亘天地而大、故言大言也。言夫婦則亘人物而小、故云小言也。
其乙庚辛丙、大言則庚丙者陽也。乙辛者陰也。小言則其陽者、皆是有夫之道。其陰者皆是有婦之道。
因有此陰陽夫婦之義、而捨己之本性、而従夫之氣習。
故可浮者反沈、可沈者反浮。

且又有一義、肝藏於血主於筋膜而絡骨節、其所主行之事在内、多陰道。故位陰分而居下矣。
肺主於氣充於皮毛、而薫肌膚、其所主行之事在外、多陽道。故位陽分而居上矣。
其言行陰道行陽道行字、行事之行而可做去聲、、、、

鍼道五経会 足立繁久

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原文 難経 三十三難

■原文 難経 三十三難

三十三難曰、肝青象木、肺白象金。 肝得水而沈、木得水而浮。肺得水而浮、金得水而沈。其意何也。
然。
肝者非為純木也。乙角也。庚之柔。大言陰與陽、小言夫與婦。
釈其微陽而吸其微陰之氣。其意樂金。又行陰道多故令肝得水而沈也。
肺者非為純金也。辛商也。丙之柔。大言陰與陽、小言夫與婦。
釈其微陰婚而就火。其意樂火。又行陽道多。故令肺得水而浮也。
肺熟而復沈、肝熟而復浮者、何也。
故知辛當歸庚、乙當歸甲也。

 

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