人殺しの言い訳

 先週、NHKで「本土空襲全記録」という番組が放映されました。私の父は3才のとき、東京大空襲のさなかにいました。唯一、覚えていることは母に負ぶわれ、空が真っ赤だったという記憶です。幼児の記憶はほとんどが消えていきます。残るのはよっぽどの恐怖体験です。

 その空襲、最初は飛行機工場から始まり、主だった軍地拠点を叩く作戦から始まりました。しかし、追撃を避けた高高度からの爆撃は命中率が低く、周辺の民間地に被害がでました。そして、それは次第次第にその範囲を拡げていきます。攻撃目標は適時変更可能になり、国家総動員体制には、軍人と民間人の区別がなくなり、攻撃目標はすべての日本人となっていきました。

 日本人からすれば鬼畜米英であり、連合軍からすればジャップです。憎むべき敵となったとき、人間であることは忘れられ、無差別爆撃へとエスカレートしていきました。次第に日本に追撃する力がなくなってくると、低空からの機銃掃射が行われ、あるいは徹底的に日本の力をなくすために焼夷弾による町をまるごと焼き払う作戦を展開します。木造家屋が密集する町を焼き払うための実験まで行いました。後にそれはクラスター爆弾のようなものまでも生み出します。日本が受けた傷だけではありません。日本もまた、同じことをしてきています。

 戦争、それは人の殺し合いです。そのための言い訳、大義を掲げても、どんな言い訳をしても人殺しです。平時には考えられないようなことが平気でなされます。一方、それは深い深い禍根を残します。悔やんでも決して戻ることができない深い傷を残します。しかし、それを繰り返す愚かな道には決して進んではならない。主よ。あわれみ給え。もう一度、いや何度でも祈ろうではありませんか。