震災3年と私たちのいのち

 表に現れにくく、口に言い表しにくいもの。誰かにわかって欲しいと願いながらも、うまく伝えられないもの。わかってくれるはずだと期待しながらも、裏切られてがっかりするもの。それが人の心です。

 私たちの心を震撼させた東日本大震災から丸3年が経ちました。震災が起こったとき、次から次へと目に入るニュースに耳を疑い、これが本当に今起こっている出来事なのかと信じられない思い、どう受け止めていいのかわからない当惑とが入り交じった数週間、数ヶ月を過ごしました。津波の破壊力のすさまじさもさることながら、原発事故は日本全体、あるいは東日本が住めなくなるような状況に決死の作業を見守ったのが3年前です。

 甲府ではその影響も早い時期から大きくは受けず、3年経った今、日常生活の関心事ではなくなりました。他の地域でも同じことでしょう。一方で震災は現代社会の様々な面を明らかにしたように思います。私たちの生活がいかにエネルギーに依存しているのか。電力が足らない。停電を経験してみて初めてわかったことです。当たり前のように水道をひねれば水が出、スイッチ一つで電気が点く。自然災害と呼ばれるもの、それは豪雪もそうでしたが、人の力ではどうにもできないことがあること。私たちの命の保証など一つもないこと。それを教えてくれました。

 そして、問われたことは、大切なものは何だろうかということでしょう。生かされているいのち、自分のために宝を蓄えても一瞬にして失うはかないものであることを私たちは経験しました。むしろ与える愛に生き、ともに生きる家族や仲間と教会と心通わせ生きること、喜びと悲しみと分かち合って生きることこそが大切だと改めて確認し合いたいと思うのです。永遠に価値あるもの、愛のために生かされていることを確認し合いましょう。