『救い』へのそなえ マタイ19:16-22 福田和広師

●金持ちの青年(1)真剣だった。パリサイ人の目が光る中、自分を晒すことをも恐れずに永遠のいのちを求めてイエス様のところにやってきた。(2)正しく求めた。青年は「永遠のいのち」を求めた。パリサイ人たちのように表面的な正しさとかではなかった。幼い頃から律法を守っていても、まわりから評価されていても、彼は不満足だった。それが永遠のいのちであることに彼は気づいていた。(3)イエス様のところに来た。青年はパリサイ人のところではなくイエス様のところにやってきた。イエス様こそその答えをもっていると強く思ったのだ。

●イエス様(1)罪を示された。しかし青年は律法の土台である十戒を守っていると答えた。彼は自分の罪に気づいていなかった。(2)罪に気づかせた。青年は自分が財産を愛していた。「自分自身のように隣人を愛せよ」という律法に違反していることに気づいた。(3)招いた。イエス様に従うように導いた。

●明らかにされたこと(1)青年は罪の告白を拒否した。気づいたのにそれを認めなかった。公にしなかった。(2)青年は財産を一番愛していた。あれほど真剣に求めていた永遠のいのちよりも自分の財産が一番大切であることが明らかにされた。(3)青年は服従しなかった。イエス様の招きに従わなかった。(4)青年は去って行った。救いは与えられなかった。

●救い*救いは、自分の罪を認め告白し、イエス様だけがそれを赦してくださることを受け入れること。それと同時にそのイエス様を自分の「主」として信じ従う決心をして歩み出すこと。たとえ従うことが困難だと思っても、その事実をイエス様に知らせ、助けを求めて従う歩みを続けて行く。私たちは弱くても主は強いのである。そう歩ませてくださる主の恵みに感謝。