数字に振り回されない

現代人はあまりにも数字に振り回されすぎだと思う。

収入、貯金、偏差値、順位、フォロワー数、閲覧数、再生回数、食べログの点数……。

たしかに、そういったものはひとつの評価であることは間違いないと思う。

でも、評価と価値はイコールじゃない。

ゴッホの絵なんてそうだろう。ゴッホは生前、絵が全く評価されず、たったの1枚しか売れなかった。でも、今では彼の絵は数十億という値がついている。

時代とともにゴッホの絵の評価は大きく変わった。

でも、絵そのものが何か変わったわけではない。むしろ、経年劣化でちょっと色あせてるはずだ。

つまり、絵の価値自体は全く変わっていない。評価だけ変わったのだ。

そして、評価は数字で表される。

だけど、人は数字ばかり見て、肝心の価値を見ていない。数字ばかり見ていも、価値はわからない。

ニュースを見ていたら、「将棋の藤井七段、連勝記録更新!」という話をしていて、キャスターの人が「これだけ勝つなんてすごいですね~」と感心している。

その直後にそのキャスターは将棋の解説の人に向って「ところで藤井七段の将棋は何がそんなにすごいんですか?」と尋ねた。

僕はテレビの前で盛大にずっこけた。

「何がすごいかわからずに感心してたんか~い!」

肝心の価値や本質がわからないのに、数字だけ見て感心してたというわけだ。

テレビやラジオのゲスト紹介で「チャンネル登録者数百万人」とか、「再生回数何万回」とか、「何百万部を売り上げたベストセラー」とか言われると、ついつい「すご~い!」と言いそうになってしまう。

でも、よくよく考えてみると、フォロワー数とか再生回数とか売り上げた数とか言われても、何がそんなに面白いのか、その人の何がそんなに魅力なのか、さっぱり伝わってこない。

それでも、人はこういった数字だけ見て、さっきのキャスターのように「すご~い!」と感心してしまう。

現代人は、数字に振り回されているのだ。

だけど、数字とは、常に揺れ動くものだ。

昨日までうなぎ上りに上がっていたのに、ある日突然、バブルがはじけるかの如くゼロになった、なんてこともありうる。

数字は水物だ。そんなもので、人の価値を測り知ることなどできない。

だから、数字は聞き流す、見なかったことにするのが一番だ。

年収いくらとか、フォロワー数何人とか、すごそうな数字を言われても、「ああ、そう、はいはい」と聞き流すのが一番だ。

実際、すごそうな数字を自慢して、「すご~い」と思わせて、相手の興味を釣るというのは、詐欺の常套手段だ。「一か月で何百万売れる」とか「全国に会員が何十万人」といった数字を巧みに利用して、騙そうとする。痛い目を見たくなかったら、数字は聞き流すことだ。

本を買うと必ず書いてある作者のプロフィールにも、数字は多く書かれている。「23歳で4つのバーを経営し、年収4000万に」みたいな文章だ。

こういった数字の入った文章も、全部読み飛ばした方がいい。こういった文章に書かれているのは、「作者の輝かしい経歴」ではない。「作者の醜い自尊心」だ。

その人がどういう生き方をしているのか、本当の人の価値が現れるのは、数字がない文章の方だ。

(ただ、「西暦」はただの年号にすぎないので読み飛ばさなくても大丈夫)

実際、僕が好きな本の著者を見てみると、こういった数字が全然ない。

一方、あさましいタイプの著者のプロフィールは数字で埋め尽くされている。ひどい時には、数字の入った文章を全部飛ばしてみたら「東京都生まれ。文筆家」という部分しか残らなかったこともある。

数字では人の価値は推し量れない。だから、数字に振り回されてはいけない。

投稿者: ノック

民俗学ZINE作家。 「バズらないモノづくり」をテーマとする「ノンバズル企画」を主宰。民俗学専門ZINE「民俗学は好きですか?」を企画・執筆・製本・販売しています。「民俗学とは『生きること』を探求する学問」をテーマに、民俗学の魅力をわかりやすく、面白く、奥深く紹介していきます。