■緊急事態下日記 ◎Tango ブログ「言葉美術館」

■緊急事態9日目。マスクとZoom初体験とフランクル

 

 ルイ・ヴィトン、シャネル、バーバリーなどのハイブランドがマスクの生産を始めたり、手作りマスクの作り方をいろんな人が紹介したり、女優や歌手が存在感がんがんのマスクをつけたり、こうなってくると、マスクもファッションの一部となってくる。

 私は、ワードローヴが黒一色なので、洗えるタイプの黒マスクを愛用。

 本にサインをするときに欠かさないスタンプ、あるいは、このサイトのアイコンにもなっている唇マークを縫いつけたいところだけど、さすがにおさえている。へんだもん。

 

 今日は人生初の体験をした。「オンライン・ミーティング」デビュー。きらきら。舞台はZoom。

 大和書房の担当編集者、藤沢陽子さんと、ひと月くらい前から打ち合わせの予定を入れていたのだけれど、こんな状況だからオンライン・ミーティングにしましょう、と陽子さん。はい、と私。

 ちゃんとメイクして、わくわくしながら、お気に入りのピンクゴールドのMacBookの前でスタンバイ。2時間ほどの楽しい打ち合わせ。電話とは違う。顔が見えるって、こんなに違うんだ、と思う。相手の存在の感じ方、っていうのかな、原稿を待ってくれているひとがいる、一緒に本を作ろうって思ってくれているひとがいる、そういうことを、より強く感じることができる、そういう感覚。

 これまで避けていたけれど、これを機に、活用することになるのだろうか。

 ちょっと前に、「よいこの映画時間」を担当してくれている「りきマルソー」こと、りきちゃんと、オンライン・サロンやりたいね、ってテストしようという話になった(Zoomではなかったと記憶している)。

 けれど電話中に流れでそうなったから大変。

「だめだわ、りきちゃん、私はおうちモード。おうちモードにも何段階かあってね、今日は最低ランクの、起きたまま状態。いくらりきちゃんでも(なんて失礼な)、これはだめだわ」

「じゃあ、路子さんは画面をどこかあさってのほうに向けておいてください」

「はーい」

 というわけで、りきちゃんの顔は見られるけれど、りきちゃんは私の部屋の一部を見ながらのおしゃべりだった。

 だから、お互いの顔を見ながら、という点で今日が初体験。

 7月刊行予定の本の話、年末か年始に刊行予定の本の話、二つの企画について盛り上がる。

 こんな状況だから、出版の時期は慎重に、という話で一致した。私は「ぜんぜん遅れてもいいから、書店でみんなが新刊を見られる状況で出したいな」とリクエスト。

 でも、いつでも出せるように本は作っておく。

 ミーティングを終え、二作目の内容についてあれこれ考えるだけで数時間があっという間。

 

 それから、一冊の本を一気に読んだ。

『人生はあなたに絶望していない V.E.フランクル博士から学んだこと』(永田勝太郎著)

 フランクルは、ナチスの強制収容所を生き抜いた精神科医で『夜と霧』が超有名。

 フランクルと交友のあった心療内科医である著者が、自らの絶望体験、絶望からの復帰を語っている。

 柳澤桂子さんの推薦文。

「一人の医師が、血の滲む苦しみからの末、多くの患者のために難病から立ち直る感動の書」。

 フランクルは、私のバイブル『夜と霧』『それでも人生にイエスと言う』で特別なひと。『逃避の名言集』にも、彼の影響が色濃く流れているし、引用もたくさんした。

 生命科学者の柳澤桂子さんの本も一時期夢中で読んだ。

 こういうつながりには、いつもしびれる。

 

 前半が著者の闘病日記、後半がフランクルとのこと。ラストに一九九三年にフランクルが来日したときの講演録がある。私はこの本を、フランクルの講演録目当てで購入したのだけど、一気に読んでしまったくらいだから、とても興味深かった。

 難病で死を覚悟した著者を立ち直らせたのは、フランクルの妻エリーさんからの手紙だった。

 エリーさんは著者の病気のことを知って、「あなたに何もしてあげることができない」けれど、夫フランクルが生前、いつも妻のエリーさんに言っていた言葉を「あなたに贈ります」と手紙に書いた。

 そこには次のような言葉があった。

***

人間、誰しもアウシュビッツ(苦悩)を持っている。しかし、あなたが人生に絶望しても、人生はあなたに絶望していない。あなたを待っている誰かや何かがある限り、あなたは生き延びることができるし、自己実現できる。

***

 この短い言葉には、すっごくたくさんの意味がこめられている。

 それについても「実存分析(ロゴセラピー)」という精神療法に基づいて丁寧に語られているけれど、私にはどうも難しいので、感覚的にとらえることにした。

 つくづく思うのは、このフランクルの言葉にしても『夜と霧』にしても、同じ言葉、同じ本であっても、著者の永田勝太郎さんが受けとったことと、私が受けとったことは、同じではない。まったく違う、というわけでもないけれど、たしかに違う。

 これがやはり本に限らず芸術の面白いところだ。

 受け手に委ねられる、ということ。

 その証拠に、同じ本でも、読む時期によって、まったく違ったところに感じ入ったりする。読み手である私の状態によって、受けとり方が変化するということ。本の内容は変わらないのに。

 

 目がしょぼしょぼ。カシスのサプリメント摂りながら、目薬ぽたんぽたんつけながら、書いたり読んだり、活字だらけの時間を過ごしている。

 タンゴが踊りたい。体を動かしたい、というのとは違う。タンゴが踊りたい。たとえどんなにエクササイズしても(←してないけど←いばることじゃないけど)、アブラッソ(抱擁っていう意味)はひとりじゃ無理。

 自宅軟禁状態のこんな日々が続くと、一緒に暮らす相手がタンゴを踊る、そんなカップルが羨ましい。1㎡あれば、絨毯の上だって踊れるもの。いいなあ。いいなあ。いいなあ。

***

*フランクルについてはいくつか過去にも書いています。わりと思い入れがあるのはこちら。

■『夜と霧』のなかに身を浸して2017/10/24

■『美術の力』と『夜と霧』と「月」 2018/1/26

 

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