○女性芸術家 ブログ「言葉美術館」 路子倶楽部

○女性芸術家2「レオノール・フィニ 自分の舞台に住むひと」

2023/12/28

■レオノール・フィニ(1908〜1996)

 仮装大好き、仮面大好きのフィニ。

 仮面をつけた写真がたくさん残されている。

 フィニはアルゼンチンのブエノスアイレス生まれ。

 イタリア、スペイン、アルゼンチン系の両親の間に生まれる。
 17歳ではじめてトリエステの展覧会に出品。翌年パリに行き、シュルレアリストたちに接近するが、自由を愛し、彼らのグループに入ることはなかった。マックス・エルンストを恋人としていた時期もある。

*1995年「藝術倶楽部」に連載したものです。

「People on terrace」(1918)

 

 

■レオノール・フィニ 自分の舞台に住むひと■

「わたしは女で、女性の肉体の形が男性より美しいことを知っています。だからわたしは『人間』としての責任を女性の手のなかにおいたのです」

 レオノール・フィニ。

 その容姿・作品ともに強い個性をもつ彼女を私に引き合わせてくれたのは澁澤龍彦の短いエッセイだった。エッセイにちりばめられている「甘美な魅惑」「エロティック美術」「幻想的」という言葉に促され、書店に出かけてレオノール・フィニの画集を探した。

 そしてはじめてフィニの描いた絵を観た。

 

 蒸し暑い夏の夜に何度も寝返りをうちながら見る夢の世界、あるいは潜在している願望の提示。

 つるつるとした、体温を感じさせない肌の群れ。絡み合う肉体。戯れる猫。眉間にシワを寄せ、こちらをじっと見つめる少女。意味深に置かれるオブジェ。そして繰り返し描かれる妖しく美しい女。

 どこか不気味。画集を閉じたあとすぐには眠りにつきたくないと思わせる、悪夢を見ることを予想させる世界。

 「怖いもの見たさ」というものなのか、私は心臓をどきどきさせながら画集を繰り続けた。

 描かれた女性の顔をじっと見つめていると、すべてがフィニ自身のように見えてくる。大きな猫のような目、特徴のある筋の通った鼻、固く結ばれた唇、ボリュームのある髪。

 今回紹介したこの絵の中心にもフィニがいる。

 ゆったりとした縞模様のスカートをはき、ベルベットと思われるジェケットを着て野外舞台のようなものの上に肘をついている。

 この構図がもし演劇空間を表しているものだとすると、ほかの登場人物たちに無関心なフィニの瞳はそのまま、フィニの周りの人たちに対する視線を意味しているのだろうか。

 フィニ、わずか二十一歳のころの作品。

 

 レオノール・フィニはとてもユニークな人だ。

 まず彼女自身の写真。これがすごいインパクト。どれもこれも奇抜な衣装を見につけている。絞り染めの着物のようなドレス、大きな鳥の羽。そして仮面。

 フィニは言う。

「仮装はわたしにとってナルシシズムを超えたものです」

 そして、猫。パリのアパルトマンで20匹もの猫と暮らし、唯一知る日本語が「ネコ」。作品にも猫は欠かせないモティーフとなっている。

 本人の気質も猫によく似ていたという。

 フィニに関する文献を読んでいて、強く感じたのは、彼女はある意味自己完結している、ということだ。自身の芸術に対しても、衣装に関しても、他者からの働きかけ、反応によって何かを得たい、得ようという気が感じられない。

 フィニの言葉もある。

「わたしはいつも自分の舞台を愛し、そこに住んでいた」

 

 また、フィニが描く絵のなかに男性はほとんど登場しない。冒頭の本人の言葉にあるように、女性ばかり描くことから同性愛者だと噂されたが、それについて彼女はこう言っている。

「わたしは女だから、女性経験だってあります。けれどもわたしは同性愛者ではありません」

 結婚という形式を嫌い、自由を愛した。ふたりの男性と生活をともにした。

「ひとりは友達というよりはむしろ恋人で、もうひとりは恋人というよりはむしろ友達」という関係だった。

 多くの友人、多くの恋人たちはいたけれど、フィニの人生のなかに「決定的な存在」を見出すことはできない。

 まったく私とは違ったタイプの人だ。

 周囲の人たちによって揺らぐことが少なく、自分で創り上げた舞台のなかで生き、描く。

 彼女はそうとう変わっているから、変人として見ていた人もいただろうけれど、変人も突き抜けてしまえば、超個性的な魅力ある人となる。フィニもきっとそうだったのだろう。

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