ホームへ戻る

S君からの手紙‐望郷のParis

 僕がK大医学部形成外科に在職中は、臨床の専門は頭蓋顔面外科cranio facial surgery ということになっており、その部門では少ないながらもチームを組んで仕事をしていた。  
 前にも話したが、この分野は人気が無い。手術も大変だし、難しいから普通の形成外科医は手を出したがらない。
 ごく稀に興味を持って参加してくる者がいるが、身近な利害を考えたら、到底出来るようなものではないから、当世では変わり者になるのだろうし、その分覚悟の出来た骨のある者が多いと思う。

 S君はその中の一人で、僕が大学を辞した後は、K大病院の頭蓋顔面外科を引き継いでやってくれている。その彼が、頭蓋顔面外科発生の地であるパリに、今年の1月から留学している。僕がパリに留学していた時の恩師で頭蓋顔面外科の創始者であるDr.P.Tessierは既に亡くなっているから、その弟子筋の所に行ったのである。

創始者Dr.Tesieerの墓に好物のシガーを添えて。

創始者Dr.Tesieerの墓に好物のシガーを添えて。

留学先の女医さんとTessieer 夫人―S君はマダムキラー?

留学先の女医さんとTessieer 夫人S君はマダムキラー?

 その彼から、多少落ち着いたと見えて、4月に近況を知らせるべく手紙が来た。
一緒に数枚の写真が同封されており、その中に見覚えのある建物が写っているものがあり驚いた。
 35年ほど前に、僕がパリに留学していた時に住んでいたアパートの写真であった。アパートの住所は、教えた覚えはないし、当の本人が既に忘れている。
後で聞いたところでは、古い「医局の連絡簿」のようなもので発見して、密かにメモして行ったらしい。そして、その住所を訪ねてくれたのだ。

35年前に住んだアパート

35年前に住んだアパート

6 rue Weber 16em

6 rue Weber 16em

 その数枚の写真は、僕にいろんな思いを起こさせてくれた。

 まずは、30そこそこの若い頃の自分である。まだ自分の行く末も全く不透明であり、漠然とした不安もあったが、それよりも無限の可能性があった。
 何も決まっていないということは、何でも出来るということでもあり、自由であった。
 若いということの最大の取り柄はその可能性であり、精神の自由さである。今、歳を取って、若さを失ってみて、一番欲しいと思うのはその自由さである。青春に戻りたいと思ったことはないが、それだけは羨ましいと思う。

 そして、パリの生活の情景が思い浮かぶ。アパートメントが少しも変わっていないように、パリは、今も同じように生活しているのだろう。
 30年なんてパリには一瞬でしかないように、いつものマルシェには、今でもいつもと同じように野菜が並び、色とりどりの果物が山になって並んでいることだろう。
 パリッ子は小奇麗に装い、背筋を伸ばしてカツカツと靴音を立てて足早に歩くし、アルジェリア系ニグロは一様に、だらしなく丈の長い背広を着て外股で歩き、ベトナム系アジア人は、どこか締まらない服装で、所在無げにウロウロ歩いていることだろう。

 一日中、どんより曇って小雨の降る、夜の長い秋冬季が終わると、青空と、マロニエやプラタナスの新緑がまぶしい春が来て、すぐに初夏になり、とたんに昼間が長くなる。今は、そんな一年で最も良い季節であり、S君も美味しいアスパラガスを堪能していることだろう。

 そして街中でバーゲンsoldesが始まる頃にはバカンスに入り、パリッ子は殆ど消えてしまい、街は観光客ばかりになるのである。

 それにしても写真を見るにつけ思うのは、S君の細やかな気遣いへの感謝である。
 そういえば、この写真を撮っていたら、ポリスに見つかり職務質問を受け、大変だったという。彼は用意周到な性格だから、フランス語も渡仏前にしっかり勉強して行ったようだから、何とか無罪放免になったようだが、さぞかし肝を冷やしたに違いない。なんせ、向うの警察はすぐに自動小銃を持ち出すから、日本人には恐怖にうつるのである。

 僕も怖い経験をした。けたたましくサイレンを鳴らしてワンボックスのような警察車両がアパートの前に停ったので、窓から見ていたら、自動小銃を構えた警察官数名がアパートに入ってきた時は、息が止まった。僕はその時は、ビザが切れており不法滞在だったから、本当に生きた心地がしなかった思い出がある。幸い、警察はすぐに帰って行き、目的が何であったかは結局は分からずじまいであったが。

S君が学んでくるものは、多分一見多くは無いだろうと思う。
学問的には、僕たちは、もはや世界の最先端にいるし、手術も革新的な新しい方法をいくつも持っている。
 ただ患者の症例数はヨーロッパに圧倒的に多いから、数をこなさないと分からない手術手技のコツのようなモノは得るものが多いのではないかと思う。
 それより何より、異文化の中に身を置いて生活してみて初めて分かるようなことや、沢山の外国人の友人が出来るところにこそ一番の価値があると思う。

 それにフランス人から学ぶものは多い。

 物事を俯瞰的、大局的に見る習い性というか能力。
 全く未知な分野を切り開く、創造的でユニークな発想と先見性。
 自由だが、節度と社会道徳に富んだライフスタイル。

 日本人に欠けた優れたところはいくつもある。S君もそれらを肌で感じて帰ってくることだろうと思う。

 S君は僕の息子と同級だが、心遣いというか、思いやりの精神には雲泥の差がある。息子に勝る後輩が持てたことを本当にうれしく思う

 彼は、もう、行きつけの、我儘のきくビストロ(医者が引退してから開いたという。)が出来たというから、既に、それだけで留学の成果があったように僕には思えるのである。

 齢を重ねて分かることだが、年を取るということは能率が悪くなる、ということである。60過ぎて精神科の勉強を始めて痛感したことであるが、同じことをするにしても、数倍のエネルギーがいる。

 「勉強するのは今でしょ」は、至言であり、真理だと思うよ、S君。

 

ログイン