【今週のみ言】 天一国2年天暦2月23日(陽暦3月23日)第8号


イエス様の寂しい3年路程
 メシヤの道を自覚するようになったイエス様は、孤独な事情が神様のみ旨を成すに当たって深刻な障害の要因であることを、独りもどかしく思いました。メシヤは真の父母であり、その使命のためには実体の新婦をお迎えにならなければなりません。天使長がアダムと兄妹のように育ったエバを、偽りの愛で堕落させたものを、根本的に復帰すべきイエス様です。

 従って、アダムを代身して神様の息子として来られたイエス様は、天使長型の妹を妻として迎えなければなりません。彼女がまさしくザカリヤの娘、洗礼ヨハネの妹なのです。サタンの権勢が主人の役割をする世の中で、このことが成されるためには、絶対的な信仰によって形成された保護基台がなければなりません。不幸にもイエス様の周辺では、このような土台がみな崩れてしまいました。

 もし、ザカリヤとエリサベツが神様の啓示と霊的な恩恵の下、初めにもった絶対的な信仰をずっともっていたなら、状況は全然違っていたことでしょう。彼らが責任を果たしたならば、マリヤは三か月後にその家を出たとしても、継続的に彼らと行き来し、相談したはずです。

 ザカリヤ家庭は、イエス様の誕生の後にも、地を代表して最も先頭に立ってメシヤを保護し侍りながら、証すべき人々として神様が選んだ家庭です。彼らは、イエス様を神様の息子として、メシヤとして、このうえない精誠を込めて侍るだけでなく、さらにまた、イエス様を通して神様のみ旨を受け、絶対的に従ったはずでした。また、イエス様のために生まれた洗礼ヨハネだったので、彼が悔い改めさせた民たちをして、イエス様を信じ救われるように導く責任を果たしたはずです。
しかし、不幸にも、ザカリヤもエリサベツも洗礼ヨハネもイエス様を神様の息子として証しだけしたのであって、侍り従った実績は何一つありませんでした。尊敬される祭司長のザカリヤが傍観し、洗礼ヨハネがイエス様と無関係な立場に立つようになることにより、かえってイエス様の行く道をもっと難しくしてしまい、民たちが従うことができないようにしてしまいました。ましてや、彼らが信仰を失い人間的な考えに流れたときに、イエス様が願われた新婦を迎えるのを助けるはずは絶対になかったのです。

 次に考えるべき点は、ヨセフとマリヤの関係がイエス様に及ぼした影響です。マリヤはエバとタマルを蕩減復帰すべき立場なので、ヨセフとは婚約関係でなければなりませんでした。しかし、摂理的に見れば、彼らの関係は夫婦ではありえません。ですから、彼らはイエス様が誕生する時まではもちろん、その後にも性関係を結んではならないのが神様の願いでした。ヨセフはマリヤに対して、イエス誕生の後にもずっと愛の心をもちました。マリヤはヨセフと別れ、イエス様を神様の息子として育てたい気持ちがあったはずです。

 

救援摂理の原理観

しかし、現実はそれを簡単には許しませんでした。本心ではだめだと思いながら、マリヤはヨセフと性的関係を結ぶようになって子女をもつことにより、エバの失敗を反復した結果となってしまいました。サタンはこれを条件として彼らに侵犯するようになりました。イエス一人を残して、すべてサタンの主管下に入っていった結果となったのです。イエスを守るべき父親も、母親も、アベル側の兄弟(洗礼ヨハネとその兄弟)も、カイン側の兄弟(ヨセフの子女)もすべてサタン側になってしまいました。

 人がサタンの侵犯を受ければ、もはや霊的に受けた恩恵と感動を失ってしまいます。神様に対する確信と感謝を失うようになります。すべてのものを人間的に考えるようになります。これにより、マリヤまでイエス様が願われる結婚を助けられず、かえって反対してしまったのです。これが、イエス様が新婦を迎えて真の父母になれず、十字架の道を行かざるをえなかった直接的な原因になったのです。

 カナの婚姻の宴で、イエス様がマリヤに「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか」(ヨハネ2/4)と言ったのも、最も貴い摂理の要請であるイエス様の新婦を迎える仕事をなおざりにし、遠い親戚(しんせき)の婚姻の宴を手伝おうとするマリヤを責めた心情が表出されたものです。「わたしの母とは、だれのことか。わたしの兄弟とは、だれのことか」(マタイ12/48)と言われたみ言葉も、このような基準から理解しなければなりません。

 イエス様は母マリヤからも、ザカリヤ、エリサベツからも反対され、最後に洗礼ヨハネからも反対され、肉親の保護を受けながら使命を完遂することを断念するしかありませんでした。新しく霊的基盤を探して、再び復帰摂理をなさろうと出発したのがイエスの出家でした。出家したイエス様は行く所がありませんでした。「きつねには穴があり、空の鳥には巣がある。しかし、人の子にはまくらする所がない」(マタイ8/20)と嘆息されました。家門の基盤を失ったイエス様は、それを代身することのできる基盤を探しに出かけたのです。これがイエス様の三年路程でした。

 しかし、民族が不信し、弟子たちの心が弱くなって、サタンの侵犯を受けてしまったので、イエス様の基台は倒れ、十字架の道に行かれるしかありませんでした。本来、イエス様はメシヤとして地上に来て、弟子たちと万民を祝福され、罪のない天国を築かなければなりませんでした。ところが、不信をされて新婦を迎えられなかったので、真の父母になれず、その使命を完遂することができませんでした。

 それゆえ、再臨することを約束されました。再臨主はイエス様が果たせなかった神様の復帰摂理の根本を完成するためにこられます。すなわち、創造理想を完成すべき真なる本然の赤ん坊の種として来て、神様の真の愛、真の生命、真の血統の根源になる真の父母の理想を完成するためにこられます。彼は既にイエスの時まで神側が勝利した根本摂理の土台の上に臨在されます。すなわち、イエス様が大人になられる時までの勝利的な基盤の上に真っすぐ立たれて、彼が果たせなかった新婦を探し、真の父母になられ、万民を救ってくださるのです。

 それゆえ、真の父母は血統を伝授する新しい結婚行事を通じ、全人類をして、神様の真の愛、真の生命、真の血統に接ぎ木して、真の人として救援し、さらには真なる家庭を成して地上天国を建設なさるのです。それゆえ、再臨主は肉身をもって来られて、新しい血統関係を編成しようとするのであり、これが国際合同結婚式なのです。

 アダム一家庭で失われたものを世界大家庭圏で蕩減することにより、アダム家庭で完成すべき真の長子権、真の父母権、真の王権を取り戻し、神様が主管なさる地上天国へと転換し、天上天国に入籍をして、神様を中心とした地上、天上王権時代に進入して、勝利と自由と幸福と統一の世界を復帰し、神様の創造理想である地上天国、天上天国を迎えるようになるのです。これが摂理史の原理観です。

                        - 平和経 -