[徳川名参謀]7 家継→間部詮房

徳川名参謀シリーズ
今回は、家継に対して間部詮房(まなべあきふさ)
7代家継は、可哀想すぎる子供将軍
もぜひ読んでね

どんな人?
間部詮房がどんな人だったか
色んな話を総合して
「人間的に魅力のあった人」
なんだろうと思う。

当時の様々な人間関係の中心にいた人だと思う

家宣との関係
新井白石との関係
家継との関係
月光院との関係

家宣との関係
父は甲府城主綱豊(家宣)の家臣西田清定だが、
幼少のころ、猿楽師の喜多七太夫の弟子になった。
しかし、生来、賢く、容姿もすぐれていたことから、
十九歳のとき、家宣に召され、小姓として江戸藩邸につとめた。
姓を間部と改めたのは、このときです。

猿楽師、今でいうと芸能人。
今は珍しくない芸能人出身の政治家
江戸時代では後にも先にもこの人しかいない。
でも、弟子でしかないから、有名人でもなく
あんまり関係無いかな

自分が家柄的に不利なのは分かっているので
一生懸命働きます。
当時、昼夜2交代制だったけど

どっちもやりますよ

必然的に仕事はガンガン覚えることができて
仕事大好き
家宣の信頼が厚くなります。

どんどん出世していって、最終的には大名にまでなります。

新井白石との関係
新井白石が生きたのは、間部詮房がいたから
本来、新井白石は御用部屋にさえ入れない家柄なので
何をするにも、間部詮房を通じて行わざるを得なかった。
極端に頭の良い学者肌の人って
横に、調整役がいないと活きないですね

間部詮房あっての新井白石
かなりタイプが違うけど、
仲が良く、ことごとく意見が合っていたようです。
白石は「詮房殿は古の君子のように立派な人物」と後に語っています。

新井白石こそ家宣の後盾しかないので
家宣の死後、政治への関与は自ら引こうとしていたとき
君と一緒にやりたいんだ
と説得して引き戻している

大体、ビッグ2になると
段々方向性の違いとやらで、袂をわかつ事が多いですよね
最後まで仲が良かったって珍しい。
これも詮房の人柄なんでしょう

家継との関係
徳川将軍15代シリーズをやって
一番頭から離れないのが
「えち えち」です。
子供将軍家継が完全に間部詮房の事を父と慕い
えち と呼ぶ
間部詮房が従五位下越前守だったからあだ名

ちょっとでも目の前からいなくなると
えち えちはどこじゃ

でも、甘やかして育てた訳じゃなく
かなり厳しくしつける
だだをこねて泣いていたりすると
回りの人が
えちさまに言いつけますよ
というと、ピタッと泣き止む

月光院との関係
月光院は家宣の側室で、家継のお母さん。
家宣の正室、天英院と壮絶なバトルを繰り広げます。
派閥抗争の話は天英院と月光院、あな恐ろしや大奥女のバトル
を読んでね

月光院と、とってもとっても仲が良い
家継は幼いので、母親のいる大奥にいる時間が長い
家継の父親がわりということもあるので
詮房も大奥に入り浸り

あれ? 大丈夫なの?

そうです。大奥は男性は将軍以外入っちゃいけないはず

厳しすぎるルールって
誰かが破って欲しいと願っているもの
あの、真面目で売っているえち様が、ああならば
みんなが見て見ぬ振り

ただ、噂話には花が咲きます。
家継が、大奥でくつろいでいる詮房を見て
えちは将軍のようだ
と言っちゃったものでさあ大変

家継の幼名「鍋松」は間部詮房の改名前の間鍋から取ったんだとか

大奥全体が浮かれ、風紀が乱れていく

詮房は敵を作るタイプではないけど
仲良しの月光院には、大きな大きな敵がいる
天英院派から厳しくたしなめられそうなもんですが
そうはならない。

なぜか
ここは泳がせておいて
一気に一発逆転を図る狙い。

詮房は真面目でここまで来た人なんだから
ここはしっかりしておくべきでしたね

さあ、世に有名な江島生島事件が起こっちゃいます。

江島生島事件で詮房までとがめられることはなかったけど
天英院派が一気に形勢逆転

そして、決定的になったのが
幼い将軍家継が死去

天英院派の推す、吉宗が次期将軍になります。

ここで一巻の終わり。

でも、大名 間部家は転封され遠い地に追いやられたものの
どっこい生き残り
幕末まで、ちゃんと続いていきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です