[歌劇]ノルマ(ヴィンチェンツォ・ベッリーニ)

ノルマ

ノルマ

ノルマ(裏)

収録曲 [歌劇]ノルマ全2幕 LD2枚組(収録時間:165分)  [イタリア語/日本語字幕]
日本モニター オランジュ音楽祭管弦楽団・合唱団(指揮:ジュゼッペ・パタネ) 1974年上演

ノルマ(オロヴェーソの娘/尼僧):モンセラット・カバリェ(ソプラノ)
ポルリオーネ(ローマの総督):ジョン・ヴィッカーズ(テノール)
アダルジーザ(若くて美しい尼僧):ジョセフィン・ヴィージー(メッゾ・ソプラノ)
オロヴェーソ(ドゥルイド教の高僧):アゴスティーノ・フェリン(バス)
クロティルデ(ノルマの侍女):マリーサ・ゾッティ(メッゾ・ソプラノ)
フラーヴィオ(ローマの隊長):ジノ・シニンベルギ(バリトン)  他

1974年のオランジュ音楽祭で上演されたステージの映画作品です。ジャケットの裏側にオランジュ古代劇場の写真が載っています。ジャケットの解説によると、この古代劇場はローマ時代の建造物で、舞台背面の上部に飾られている像は、当時のローマ皇帝アウグストゥスであるとのことです。

舞台は紀元前50年頃。シーザーによって征服され、ローマの総督によって支配されていたガリア地方(今のフランス・ベルギー全土とオランダ・ドイツ・スイスの一部)。

第一幕

(第一場)ガリア人が信奉しているドゥルイド教の聖地の森。真夜中。ガリア戦争によってシーザーの率いる軍隊に征服されたガリア人達はローマに対して甚だしい敵意を抱いていた。一本の樫の木の大枝の下に飾られた石の祭壇の傍ら、高僧オロヴェーソが「丘に行けドゥルイドの人たちよ。そこで空を見つめるのだ。新月がいつ目覚めるか。」と歌っている。ドゥルイド教徒たちは、ローマの破滅を祈りにこの森に集まってくるのだ。彼らが姿を消すと、ローマの総督ポルリオーネが隊長のフラーヴィオを連れて現れ、悩みを告白する。彼はドゥルイド教の高僧オロヴェーソの娘ノルマと契りを結び、ノルマもドゥルイド教の尼僧としての純潔の誓いを破って二人の子供をもうけていた。しかし、ポルリオーネは「ローマのヴィーナスの祭壇に、アダルジーザが僕といた。」と歌い、彼の心が既にノルマから離れて、今では若くて美しい尼僧アダルジーザに向けられていると語った。

人々が再び祭壇の方に向かってくるので、ポルリオーネとフラーヴィオは難を避けるように姿を消す。人々が集まったころにノルマが銀のヴェールをまとって現れ「清らかな女神よ。この聖なる老木を、銀色に輝かせ給う女神よ。」と歌い、血気にはやる群衆を鎮める。ノルマが「この聖なる森から異教徒を追放しよう。」と叫ぶと、群衆は「真っ先に打倒されるのはローマの総督だ。」と応える。ノルマは「私は彼を処罰できる。でもこの心は彼を処罰できない。私の元に戻って下さるなら。初めの頃の誠実な愛よ。」と密かに歌い、ポルリオーネの心が離れていくのを憂いている。皆が退場してもアダルジーザは一人残って、祭壇に必死に祈りを捧げている。そこにポルリオーネが現れ、ローマへ一緒に逃げようと口説く。最初は拒んでいたアダルジーザも遂にポルリオーネの説得を受け入れた。

(第二場)暗い洞窟の中にあるノルマの部屋。この部屋の奥には、ポルリオーネとの間にできた二人の子供が匿われている。ポルリオーネの愛が薄れてきたことを悟ったノルマが悲しんでいると、アダルジーザが訪ねてきて「独りでこっそり神殿に、私はあの方を待ちました。」と歌い、信仰を捨て愛に走ることになった自分の悩みを相談した。ノルマは、我が身に写して自分もまた、同じ罪を犯していると考え、アダルジーザの過ちを赦そうとするが、彼女の恋人が他ならぬポルリオーネであることを知って、「怖がることはないわ、この女のことなら。この女に罪はなく、悪いのはあなた。」とポルリオーネの不実を呪った。

第二幕

(第一場)暗い洞窟の中にあるノルマの部屋。アダルジーザとポルリオーネに裏切られて絶望したノルマは、眠っている子供たちの身を案じいっそ殺そうと短剣を抜くが、それを使う勇気は出なかった。ノルマはアダルジーザを呼んで、「さあ、あの子たちを連れて行って。助け、そして守ってあげて。」と歌い、子供たちの養育を委ねるが、アダルジーザはそれを拒み、自分もここに残ってポルリオーネを再びノルマの手に戻るよう努めることを約束する。

(第二場)ドゥルイドの森の近く。ドゥルイド教徒やガリアの兵士達が神の指図を仰ごうと集まってくる。

(第三場)森の中のイルミンスル神殿の前。アダルジーザはノルマを救おうとポルリオーネのもとへ行ったものの、ポルリオーネはもはやノルマのもとへ戻ろうとはしない。使いに行ったクロティルデからそのことを聞いて、ノルマは今こそ戦いを始める時、と合図の銅鑼を打ち鳴らす。その時、神殿に忍び込んだ一人のローマ人が捕らえられてくる。アダルジーザを連れ戻そうとしたポルリオーネである。群衆は彼を生贄にすることを望むが、いまだに彼を愛しているノルマは人々を去らせたうえで「あなたはとうとう私の手中に、誰もその縄目を解くことは出来ない。」と歌い、自分がまだ彼を愛していることを告げ、アダルジーザを諦めて、ガリアの地を離れるならば逃がしてやろうと訴える。しかし、ポルリオーネは、アダルジーザを救っても自分を刺せと鋭く言うので、ノルマは嫉妬に燃え再び人々を集める。

そして、神聖を犯した一人の尼僧を神の生贄にすると告げた後、火刑台の用意をさせ、その罪深い尼僧こそ自分に他ならないことを告白する。これを聞いたポルリオーネもまた、初めてノルマの深い愛に目覚め、ノルマと死を共にすることを誓う。ノルマは父親である高僧オロヴェーソに「子供たちを犠牲にしないでください。私の大きな過ちのために」と歌い、子供たちの養育を委ねる。涙のうちに娘ノルマの願いを受け入れる父オロヴェーソ。そして、ノルマとポルリオーネは、群衆が「火刑台へ行け。火刑で全てが清められる。」歌う中、火刑台へと進む。(幕)

悲劇物にしては、序曲が行進曲風ともとれるテンポの良さを持っており、当初は違和感を持ったのですが、観終わって、ノルマとアダルジーザが「神のお召のある日まで、私達は互いに友・・・。」と歌うところ。まさに戦場に赴く戦士がごとき迫力があり、このあたりの旋律が序曲に生きているなと判りました。

最後の火刑台に向かうシーンでは、ステージを照らす照明が火刑台の炎を著わす赤色に染まり、野外劇独特の臨場感も手伝ってなかなか迫力がありました。

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