日本、初戦落とす [新しい局面を迎えつつあった・・・・30年前の衝撃 第六回世界選手権]

国別対抗団体戦初日チケット
第六回世界軟式庭球選手権 国別対抗団体戦初日チケット

念願の日本初開催 第六回世界選手権

今(2015)からちょうど30年前の8月23日〜27日、名古屋市において世界軟式庭球選手権(現世界ソフトテニス選手権)が開催されていた。

世界選手権は第一回が1975年であり、以降2年ごとに開催されたが(現在は4年毎)、この名古屋での第6回大会が初の日本開催であった。創設以来10年。回を重ねながら宗主国日本での開催が実現しない、という異常事態だったが、これは1972年の日中国交正常化が色濃く反映している。いわゆる二つの中国(一つの中国)問題である。

田中角栄の訪中、周恩来との会談により戦後27年の経て中華人民共和国との国交は正常化したが、それは同時に中華民国(台湾)との断交を意味した。中華民国、つまり台湾は国際軟庭界の3柱(日本、韓国、台湾)の一つであり、この問題は以降の国際大会開催にあたっての重大な懸念事項としてありつづけることになる(現在でも同様だ)

(後日関連記事up)。

新しい局面を迎えつつあった・・・・

ようやく実現した日本開催、折しも前回大会(1983台湾台中)では、日本男子が国別対抗団体戦の最終戦で韓国に敗れ、1956国際大会創設以来続いた連続優勝がストップ、王座を初めて明け渡し、新しい局面を迎えつつあった(女子は日韓の二強時代が当初より続いていた)。


当時は団体、個人戦ダブルスの男女4種目を5日間。団体(3日間)—>個人戦(二日間)と進行。

日本男子の初戦は皮肉にもその台湾戦しかも開会式直後、スコアは

  • 若梅・田中0−5黄・賴
  • 笹倉・稲垣5−4劉・黄
  • 木口・横江1−5呂・羅
  • 笹倉・稲垣3−5黄・賴
団体戦は3ダブルス殲滅戦(文字通りどちらかが全組破れるまで続く)による各国総当たり戦。日本代表は間違いなく当時のベスト。台湾はベテラン黄建賓(木口、横江、稲垣と同年代)をリーダーに若手中心。2003年と酷似しているともいえる。

数字もかなりなものだが実際のインパクトはもっとすごいものがあった。とにかくテニスにならないのだ。いってみれば異次元のテニス、台湾のカットとライジングからの速攻はそれほど衝撃的だった。

実は1971年の第八回アジア選手権(世界選手権の前身で日本、韓国、台湾の3カ国対抗)において日本男子は台湾に4−5のスコア(5組殲滅戦)で敗れている。但し1971年大会の優勝は日本(三つ巴)

残念ながらテレビ中継はなかったが、するどいカットサーブに日本が空振りする映像がNHKのニュースで流れ衝撃を与えた。

1985年8月24日 中日新聞朝刊
0824
画像は1979第三回世界選手権チャンピオンの稲垣選手/キャプションにはスマッシュのフォローとあるが、後衛の笹倉選手の態勢をみてもクロスポーチの間違いか?






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