米国におけるディプログラミングの始まりと終焉(6)


ダン・フェッファーマンによる2010年の論文

C.強制的ディプログラミングに対する刑事および民事訴訟(の続き)

ジェイソン・スコット事件

 ディプログラミングはすでに衰退しつつあったが、ジェイソン・スコット事件は、米国におけるディプログラミング運動の終焉を決定的なものにし、強制棄教業者と積極的に策謀してきた「カルト警戒網」を破綻させた。1991年にジェイソン・スコットが失敗に終わったディプログラミングの標的になったとき、彼は18歳で国際ペンテコステ教会連合の関連団体であるライフ・タバナクル(生命の幕屋)教会の教会員だった。(注24)

 ワシントン州西部地区の米連邦地方裁判所の陪審は、スコット対ロスの6日間にわたる裁判の後、ディプログラマーであるリック・ロスとそのチームによる原告ジェイソン・スコットの拉致は、スコットの公民権を侵害し、犯罪的過失であると判断した。陪審は、スコットへの補償的損害賠償として875000ドル、懲罰的損害賠償として400万ドルの支払いを評決した。陪審は、過失責任の10パーセントと懲罰的損害賠償のうち100万ドルの支払い義務を、以前は市民自由財団という名称で法人化されていた反カルト団体である「カルト警戒網」(CAN)に割り当てた。これは、CANがロスと共謀してスコットの公民権を剥奪したという根拠に基づくものだった。

リック・ロス

 カルト警戒網は、CANが陰謀と過失に対して法的責任を負うと判断した陪審の評決に関して、第9巡回区の米連邦高等裁判所に上訴した。(注25)連邦高裁は、「証拠は、リック・ロスを含むディプログラマーに人々を紹介するのがCANのやり方であり、ロスは強制的ディプログラミングを行ってきたことで知られていたことを示している」と述べた。法廷は、CANの会長がロスに紹介を行ったことを重要視した。法廷は、陪審がそれを信じる場合、CANの会員が日常的に、ロスを含むディプログラマーに人々を紹介し、ロスが強制的ディプログラミングを実施し、CANはロスが強制的ディプログラミングを実施していたことを知っていたことを立証する十分な証拠を見出した。法廷はまた、CANが強制的ディプログラミングを禁止する公式な方針を持っていたけれども、そのことはCANのやり方に関する証拠を弱めるものでもなく、またCANに対する代償的責任を課することを妨げるものでもないと判決した。高裁判決の後、CANは破産申請した。

要約と結論

 その過程においては後退があったものの、米国における拉致および強制棄教に対する法廷闘争は全般的に勝利への着実な道筋を辿ってきた。1970年代のテッド・パトリックに対する有罪判決から始まって、1991年のカルト警戒網への致命的打撃に至り、気が付けば「ディプログラマー」は違法行為者の立場に立たされるようになった。警察や地方の判事が彼らに協力したときですら、彼らの法的勝利は短命に終わった。市民自由擁護者や主流派教会は、強制棄教活動に対する反対を訴えた。判事の誤った判決はより上位の裁判所で覆された。

 複雑な歴史に関するこの概略調査を振り返ると、闘争の1つの転換点はエイリーズ事件であるように思える。同事件において、連邦高裁は、いかなるものであれ拘束者との協調は、それが脱出の機会を得るためであったとしても、拉致者にその犯罪に関する法的隠れ蓑を提供することになるとしたミネソタ州最高裁の判決を覆した。モルコ事件は、「洗脳」理論の誤りを徹底して示すことになった。ワード事件は統一教会のようなマイノリティーの宗教団体が憲法修正第1条の宗教の自由保護を受ける資格のある「保護されたクラス」であることを正式に確立した。ブリッタ・アドルフソン事件は、「悪の選択」の弁護が親や強制棄教業者を法的責任から保護しないことを示した。最後に、ジェイソン・スコット事件は、カルト警戒網のような「教育」団体であるはずの団体も、強制棄教に協力することにより個人の公民権を侵害することに対して法的責任を問われうることを立証した。

(注24)18歳という年齢は米国では、アラバマ州およびネブラスカ州(19歳)、ミシシッピ州およびプエルトリコ(21歳)を除いては法的に成人と見なされる。
(注25) スコット対ロス、140 F3d 1275(第9巡回区、1998年)

<翻訳者の感想>

 この論文は、日本における拉致監禁・強制改宗を終焉させるプロジェクトの一環として、アメリカにおけるディプログラミングに関わる法廷闘争の歴史をまとめたダン・フェッファーマン氏の労作である。強制改宗を正当化する法廷での抗弁は、大きく分けて以下のようなものになると思うが、これは日本における裁判や警察の実際の動きにおいても同様の判断がなされてきた経緯があり、日米の共通点として注目に値する。問題は、米国ではこうした抗弁が最終的にすべて却下されたのに対して、日本では裁判官によって認められた場合や、警察の行動原理としていまも残っている点があるということだ。

①子の幸せを願う親の愛情が動機となって行われたものであるため、不法監禁の罪から免責される。こうした判断は、美津子アントール事件や今利理絵事件の判決にも見られる。
②より大きな悪を防ぐためにより小さな悪を行うことは正当化されるという「悪の選択」の抗弁。これも反社会的団体や「カルト」から救出するためには多少の実力行使もやむを得ないという論理として、警察や検察の判断の中に存在する。
③強制的に監禁された状況下で相手に同調すると、合意の上での滞在とみなされる。これも拉致監禁事件の民事訴訟において、被害者がよほど強く抗議したり全力で抵抗しない限り拘束状態にあったと認定されないという「高いハードル」として、法廷の判断に存在する。監禁下で対話に応じたら、合意の上でそこにいたとみなされてしまう。

 日米の比較で顕著なのは、初期の米国の強制改宗には、裁判所が出した成人後見人命令によって、警察などの法執行機関が新宗教の信者を直接拉致したケースがあったことだ。さすがにここまでひどいことは日本の警察はしていない。ただし、警察に助けを求めて行ったところ両親のもとに連れ戻されたケースや、美津子アントールさんのケースのように、運転免許の更新のために警察署を訪れた際に、警察が両親に連絡をしてその場で拉致されてしまったケースは存在する。

 アメリカでは明らかに証拠が残るような法的手続きが行われたため、そのことの違法性が指摘されて「公権力による直接的な拉致」はなくなったが、日本の場合には証拠の残らない「裏」の活動として行われたため、こうした警察の人権侵害は法の裁きを受けていない。米国は良くも悪くもLegalismの国なので、強制改宗を巡る論争がすべて法廷で決着していて分かりやすい。それに比べて日本は、警察、検察、裁判所の恣意的判断、慣習、さじ加減などで物事が決まる場合が多く、ことの善悪がはっきりしない場合が多い。

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