紀藤正樹著『マインド・コントロール』の批判的検証07


このシリーズでは、紀藤正樹著『マインド・コントロール』を批判的に検証しているが、紀藤氏の主張する「マインド・コントロール」は科学的に定義される概念ではなく、その時代の社会通念や一般常識を前提とした政治的概念であるということを明らかにした。特に先回は、「人権」という国際社会において普遍的に定義されている概念と比較することによって、「マインド・コントロール」がいかにいい加減な概念であるかを説明した。

実は、「マインド・コントロール」が心理学的も法律的にも確立した用語ではないことは、以下のように紀藤弁護士自身が認めている。
「ところで、『マインド・コントロール』という言葉は、心理学用語として確立している用語ではありませんし、右の判決文からわかるように『法律用語』としても確立した用語ではありません。心理学者に『マインド・コントロールとは何か?』とたずねると、『そんなものはない』と答える人すらいます。」(p.63-64)
そこで紀藤氏は、科学的に「マインド・コントロール」を定義することがなぜ難しいのかを説明し始める。それは、この問題を科学的に扱おうと思えば、まず「自由意思」とは何かを定義し、それが周囲の影響によって圧倒されていくプロセスを科学的に定量化して説明しなければならないのであるが、そのような観察可能な定量的なデータは、むしろ影響力が小さいことを証明してしまうからである。紀藤氏は以下のように論ずる。
「たとえば、乞食が『お恵みを』といえば、おカネを少し出す人や多く出す人がいても、ほとんどの人は通り過ぎるだけ。これを観察し、物乞いとは強制ではなく影響力が小さいと結論する。次に、強盗が喉元にナイフを突きつけて『カネを出せ』といえば、ほとんどの人はおカネを出す。これを観察し、強盗は乞食より影響力や強制力が大きいと結論する。・・・同じようにマインド・コントロールのせいで人々が統一教会に入信したとしても、心理学者は、何人が勧誘されて何%が入信したというように測定可能なデータだけを使います。そのデータが100人勧誘されて数人が入信したといった数字なら(たいていそんな数字です)、マインド・コントロールなるものの影響力や強制力はほとんど認められないと結論する場合があります」(p.65-66)。
紀藤氏は、こうした数値計算によって「マインド・コントロール」の影響力や強制力が低く見積もられてしまうことが気に入らないらしく、次のように反論している。
「しかし、100人勧誘されて3人しか入信しないとしても、法律家から見れば、その数字は驚くべき数字です。なぜかといえば、たとえば100人に声をかけたとすると、そのうち3人までもが教祖の思い通りになってしまうということになるからです。100万人なら実に3万人です。振り込め詐欺よりも効率がいいのではないでしょうか。」(p.66)
紀藤氏がここで展開している議論は、実は米国の法廷における「マインド・コントロール論争」の中で典型的に出てくるものである。その代表的な訴訟が「モルコ、リール」対「統一教会」の裁判である。原告のモルコとリールは統一教会の元会員で、強制的に誘拐され、強制改宗を受け、教会を離れた。彼らは統一教会に対して、不当な勧誘、洗脳、不当な監禁などを理由に訴訟を起こした。この民事訴訟は、以下のような経緯で展開した。
・1983年 カリフォルニア州上級裁判所 略式判決により訴えを却下
・1986年 カリフォルニア州控訴裁判所 略式判決により訴えを却下
・1987年 米国心理学会(APA)の有志と米国キリスト教協議会(NCC)が、カリフォルニア州最高裁判所に法廷助言書を提出
・1988年 カリフォルニア州最高裁が「略式判決」を破棄して差し戻し
ここで若干補足説明をすると、「略式裁判」とは陪審制を取らずに裁判官が事実審理をして判断を下す判決のことである。一審と二審においては、この訴訟自体が法廷を宗教問題に踏み込ませるものであり、米国憲法修正第一条に抵触するという理由から、裁判官の判断による「略式判決」によって、原告の訴えが棄却されてきたのである。
カリフォルニア州最高裁の判決は、この「略式判決」を破棄し、たとえ宗教団体による伝道行為であっても、伝道方法に問題があれば事件として扱うことができると判断して、陪審員による事実審理をするようにと差し戻したものである。つまり「訴訟を起こすことは禁じられていない」という判断をしたのに過ぎず、実質的な内容を審議して教会の伝道行為が違法であるという判断を下したわけではない。日本では一部の弁護士が、1988年のカリフォルニア州最高裁判決に関して、あたかも原告側が勝訴し、統一教会の伝道方法の違法性が認められたかのように宣伝しているようだが、これは事実に反する。
その後、この訴訟は連邦最高裁へ上告されたが、連邦最高裁は審理を拒否したため、教会と原告側は和解している。したがって結局のところ、統一教会の伝道行為の違法性が認められた判決は出されていないのである。
裁判の経緯に少しスペースを取ってしまったが、紀藤氏が著書の中で紹介している「心理学者の議論」は、この「モルコ、リール」対「統一教会」の裁判において、1987年に米国心理学会の有志が提出した「法廷助言書」において主張されている内容と同じである。この法廷助言書は、増田善彦著『「マインド・コントロール理論」その虚構の正体』に日本語訳されて全文が掲載されており、このブログにも文献資料として転載されている。関心のある方は以下のURLを開いて読んでいただきたい。
http://suotani.com/materials/kyokou/kyokou-6

忙しい読者のために、紀藤弁護士の記述に該当する部分を以下に抜粋する:
「科学的観点では『強制』は外的環境の一つの特徴であり、その環境の中で大多数の人が起こす行動が範囲的に限定されていることから推論されるものである。『強制』を統計的に測定する場合には、心理学者および行動学学者は、『強制』について大多数の人の行動範囲に一般的にどう反応するか、を測定し、特定の刺激による『強制』の程度を推論することができる。例えば、元気な乞食がカネがほしいとやってきた場合に、少しあげる人、多くあげる人がおり、また大多数は何もあげないものである。そこでは『物乞い』は通常は強制的ではない。しかし、強盗がナイフを被害者ののどにつきつけてカネを要求した場合には、大多数の人はカネを出すであろう。凶器による強盗は非常に『強制的』である。」
「原告の『強制的説得』理論をこうした科学的評価で判定すれば、そのもっともらしさは蒸発してしまう。原告のいう『強制的説得』にかけられた大多数の人は、その期間が数週間に及ぶものであっても、統一教会に入らなかった、というのが社会科学の矛盾ない実証的証拠の示すところである。統一教会の会員募集修練会についていくつかの研究が行われたが、それ〔アメリカ、イギリス両教会の1970年代の入会過程の研究〕によると平均で修練会参加者の10人に1人以下が入会に同意し、2年後には20人に1人以下しか残らないという。」
この米国心理学会の有志が提出した「法廷助言書」の根拠となっているのが、このブログで日本語訳を紹介してきた、アイリーン・バーカー博士の著書「ムーニーの成り立ち」である。「法廷助言書」で紹介されている部分は「ムーニーの成り立ち」第5章の表5に依拠しており、私のブログでは以下のURLで読むことができる。
http://suotani.com/archives/973


UCcareer
 この表では、2日間の修練会に参加した者のうち、2年後まで残ったのは4%に過ぎないという数値が示されているが、紀藤弁護士はそれがたとえ3%であったとしても「驚くほど多い」と言いたいようである。3%が多いか少ないかという議論は、何を基準とするかによって異なってくるので非常に主観的な判断になるが、アイリーン・バーカー博士の「ムーニーの成り立ち」をより詳しく読むと、実はこの「4%」という数字も、どこから数えるかによってさらにぐっと低くなるのだという。例えば、統一教会のセンターを訪問した人が全員2日修に参加するわけではないので、それを母集団とそれば確率はさらに下がる。道端で声をかけた人のうち、100人に1人がセンターを訪問すると計算すれば、さらに確率は下がる。2日間の修練会に参加した人は、既に原理をある程度聞いて関心を持っているという意味で「選ばれた人々」であり、出発点が「一般人」ではないので、「振り込め詐欺よりも効率がいい」などという短絡的な比較は意味がない。
「表5」に対するバーカー博士の解説を引用すると以下のようになる。
「表5で示されたデータ、そして米国におけるフルタイム・メンバーの数が数千人を超えたことはなさそうだというまさにその事実は、『誰もが免れない』というような大げさな主張を排除する。そして、もしわれわれがこれらのデータに照らして、洗脳、操作、強制によって青年をムーニーにする社会的状況としての修練会の役割を考えると、それが時折示唆されてきたほど恐ろしく効果的なものではないことは明らかである。それは、少なくとも90%は『効果がない』と考えられる。この『少なくとも』が強調されなければならない理由は、人々が修練会参加に同意する前の段階で激しい選択の過程が起きているからである。」
「もし、幸福な結婚をしている40代後半の成功したビジネスマンをも含めて、『全員』が修練会に行ったとすれば、その失敗率は間違いなく跳ね上がるだろう。統一教会のセンターを訪問した人の数までさかのぼって計算を始めれば、多めに見積もっても、2年後に統一運動に加入している者は0.005%に満たないであろう。そしてその全員がフルタイム・メンバーだというわけではない。言い換えれば、統一教会のテクニックによって誰もが洗脳されるというのは、全くの間違いなのである。」
これに該当する日本でのデータに関しては、拙著「統一教会の検証」の中で紹介している、1984年〜93年にかけてのサンプリング調査がある。それによれば、その10年間に伝道されて定期的に統一原理を学習するようになった者36913人のうち、二日間の修練会に参加した者が14383人(39.0%)、四日間の修練会に参加した者が8258人(22.4%)、そしてその中から自主的に実践活動を行う信者になった者が1274人(3.5%)であるという結果が出ている。アイリーン・バーカー博士の出したイギリスのデータと極めて似通った数字が出ているのは大変興味深い。これも街頭で声をかけるところからカウントすれば、小数点以下数桁の極めて小さな数字になるだろう。
こうした数字が「大きいか、小さいか?」と論争することにはほとんど意味がない。これらのデータが客観的に示しているのは、修練の過程において大部分の者が去っているということであり、統一教会の伝道方法は基本的に対象者の意思決定を強制する過程ではなく、教義を受け入れる者を選抜する過程であるということだ。すなわち、「マインド・コントロール理論」は客観的なデータに基づいた科学的検証に耐えられないので、心理学用語として確立していないのである。

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