08. 1月 2022 · [EPISODE2835]またまた気分がいいので、1972年から1974年まで はコメントを受け付けていません · Categories: 新着情報

*1月6日
やっと初詣。
店へ行くと、 幼稚園に入る前からの仲間マコちゃんがやってきた。

小学校に入る前?
犬山で買ってもらった鉄の剣で、チャンバラやって、彼の額に傷つけてしまい、私の母親にめちゃ叱られた。
額の傷はなかった。
ほっ。
マコちゃんは、覚えてなかった。
もうボケたか?
ははは。


お互い、今年で70歳。
長生きしような。

ど~も!!
“イチイチ君”あらためて、“毎日君”がやってきた。


年末から毎日やってくる。
正月休みでも、店を開けて!と言う。
何んでやねん!

*1月7日
七草粥を食べる。


今年一年、元気でありますように・・・。
店を開くと、さっそく“毎日君”が入ってきた。
ソファに座ると、いきなりZZZZZ.
私:「そこまでして、来なくても・・・。」
毎日君:「予約した以上は・・・。ZZZZZZ.」
まあいいけど。。
こんな感じで、始まり、一日が終わる。

今夜は、めちゃ冷えているので、夜の徘徊をやめて、四方山を書こう。
■1972年から1974年


*1972年から、外タレ、ラッシュ!
お金がなかったので、選んで行ったり、我慢したり。。。
BBAは、後輩におごってもらった。
ジェイムス・ギャングは、知らない人にチケットをもらっていきました。
本当に貧乏だった。
駿河台食堂や、イモやのとんかつは、ご馳走だった。
北池袋の大衆食堂では、マグロのぶつ切り、野菜炒めで味噌汁付きで250円。
助かった。※普通は予算200円以内。
たまに、同じアパートの女子大学生さんがカレーをご馳走してくれた。
これは本当に助かった。
感謝。感謝。
弦は、1,2弦が2本づつ入っていたダルコ・ファンキー弦10セット500円を愛用。
当時、アーニーボールは1セット1850円。買えるわけない。
すぐに1000円になってから時々買うようになりました。
当時は、アーニーは1弦だけ2本入っていた。
デュエイン・オールマンと同じフェンダー・ロックンロール弦10-38も、たまに使いました。

話を戻して。
ディープ・パープルは、あの武道館の暴動騒ぎがあったアリーナのど真ん中にいました。
色んなものが降ってきた。
ロリー・ギャラガーは、格好良かった。
大型アンプが当たり前の時代、フェンダーのツィードベースマンだったかな?
とにかく、こじんまりしたステージ。
でも、熱い演奏を聴かせてくれました。
途中、テレキャスの弦が切れたら、ポケットから替え弦を出して、何事もなかったかのように張り替えて演奏続行するし。
バンドも、慣れたものでした。
Tレックスは、お金がなくて行けなかった。
始まる前に地震があり、大変だったみたい。
この時期に来日したハンブル・パイ、フリー、ゲス・フー、シカゴ、チェイス、ニッティーグリティー、レオン・ラッセル、ムーディー・ブルース・・・行けてない。
そうそう。 マウンテンは、夏休みで名古屋に帰っていた時、名古屋市公会堂で観た。
フェイセスも、おごってもらって行った。(笑)
当時、ジミー・ペイジ、ジェフ・ベックは健在ぶりを見せてくれたけど、クラプトンはどうしたの?って感じ。
1973年1月にレインボー・コンサートがあったみたいだけど・・・・。
1974年10月、つ、ついにクラプトンが初来日。
あの、エクスプローラを使ったライブです。
※実は、年末に、ギターマガジン誌から、この時代のクラプトンの仕様機材等の取材があり、ちょっとだけ協力しました。
今月か来月に出る号です。
お楽しみに・・・。
個人的には、この時代のよれよれに感じるクラプトンの演奏が大好き。

一方、私は、新谷、新潟の川口や東洋大の仲間たちと“ライス・フィールド”というバンドを組んでました。
学祭も終わり、まだライブハウスがない時代、演奏する場所がなくなってしまった。
マーシャルで演奏できるという噂を聞き、興味本位に1974年春にあったAロックに出場。
バンド名は、なぜか?“スティーブ”変えて出場しました。
しかし、この回からマーシャルは無し。。。。
え~え~!!!
残念。
審査員は、故・成毛茂さん、つのだ☆ヒロさん、イギリスから帰ってきた山内テツさん。
当時のAロックは、プロへの登竜門みたいなものでした。
皆さん、おしゃれなグラムロックはじめブリティシュ系のバンド。
演奏力があり、格好いいバンドが一杯
私達みたいに、オールマンやブルースをやるバンドは皆無。
スライド奏法を見たことないお客さんが、「あいつ、鉄管使ってる!」と言ってたそう。(笑)
だから、優勝した時はびっくり。。。。

今日はここまで。
ギターを弾きます。
つづく。。。。