■ 京都 西本願寺

Print Friendly, PDF & Email


京都駅の北方、下京区に何れも本願寺と呼ばれる2つの巨大な伽藍があります。
堀川通り沿いにあるのが西本願寺(浄土真宗本願寺派)、烏丸通り沿いにあるのが東本願寺(真宗大谷派)です。共に親鸞を開祖とする浄土真宗の寺院ですが、何時どの様な理由で袂を分ったのでしょうか?

折しもNHKの大河ドラマ「黒田官兵衛」では、門主顕如が率いる石山本願寺との戦いに手こずる信長が描かれています。宗教集団とは思えぬ強大な軍事力・経済力に驚かされます。結局戦による決着が着かず、朝廷の仲立ちで和睦するのですが、これに異を唱え徹底抗戦を主張したのが顕如の長男教如です。顕如は心ならずも教如を義絶しますが、これが宗門強硬派の不満を買い、東西分派への遠因となります。
信長亡き後、一向宗徒との関係修復を図る秀吉は、京の七条堀川に寺地を寄進し本願寺再興を支援します。ところが顕如入滅後に、本願寺では教如と三男准如による跡目争いが起こります。教如はこれに敗れ、退隠を与儀なくさせられますが、関が原の合戦の後家康に近づきます。家康は豊臣に従いた准如に代え、教如を門主に据えようとしますが、肝心の教如がこれを辞退します。そこで家康は、一向宗徒の力を削ぐ目的で本願寺を二派に分け、教如に東側七条烏丸にある寺領を与えます。これが現在の東本願寺の始まりです。
浄土真宗は我国最大の仏教宗派ですが、古くから僧侶に肉食妻帯を許し、門主を血脈で相承してきました。これが他宗派では見られぬ内部抗争を招き、権力者の思惑による介入を許したとも言えます。ただ両者の関係は、骨肉相争うと言ったものではなく、東本願寺が平和的に公然と独立を果たしたと理解するのが実情の様です。

西本願寺の広大な敷地を散策すると、寺域南側に国宝唐門があります。豪華絢爛な彩色を施された透かし彫りの中に、一際目立つ二頭の麒麟がいます。お馴染みキリンビールの商標のモデルとも言われています。日がな一日眺めても飽きぬと言うことで、日暮門の別称があります。

関連記事: