自然は『光と舞台空間』

自然はとても大きな意味を含んでいる。宇宙の果てから、ウイルスの生命まで広大な具象の世界である。それを理解するのに数式で捉えきれない事は分かっている。

 ここに示すファイルは日本物理学会第64回年次大会(2009)で作成し、事情により発表出来なかった資料の一部である。講演概要集第64巻で、標題:プリズムと光量子の分散(p.405) およびエネルギーが質量の素(p.20)の2つに関する物(勘違いのようですみません。2006年第61回の光量子エネルギーのベクトル解析と力密度 f=rot(S/v)とベクトル算法の関連資料でした。ベクトル算法で気付きました) 。上の①図は空間定数が電磁エネルギーに対してどのような意味を持つと解釈するかを示したものである。クーロンの法則を斬るの冒頭で論じたマックスウエルの電磁場方程式が無用の長物だと論じた意味も上の図の中に在る。資料4枚程で説明しようと思う。先に投稿様式が間違っていて、再投稿になる。

兎角自然科学は、狭い専門領域に細分化され、特殊な専門業界にしか通用しない様式での解釈の狭量意識に囚われ過ぎてしまった。それが現代科学の姿に見える。誤解されそうだが、私が主に論じる対象分野はすべての自然科学の論拠となる基礎概念に関するものである事をお断りしておかなければならない。それは理科教育の教科書の内容に関する物になろう。応用科学は凄まじい勢いで、進展し続けている。例えば、医学生理学や情報関連技術の研究対象は私が論じる批判対象ではない。あらゆる自然科学の根底として、理科教育で対象とする内容について論じている。ただ、それが「素粒子論」になると、最先端の研究内容そのものが批判の対象になるのである。大学が『電荷とは何か?』『光の振動数とは何か?』に真剣に答えようとしないからである。

自然科学は日常生活の場面で、市民が理解できる『言葉』で解説できなければ、その専門性は疑わしいと考える。そんな意味から、自然世界を解釈する基本的視点を示したかった。宇宙の果てから、ホタルイカの世界まで光が満ちている。光が直進すると言う意味一つを考えたとき、放たれた光はどこに旅立ち、どこに収まるか。その光一粒は世界の実在物理量である。決して消滅してしまう訳ではない。何処かで何かに代わるだけで、新たな世界の一部として変換されてゆくだけである。『万物は輪廻転生』の世界であると言う東洋的解釈が有る。世界を大まかに捉えるには、光を介して広大な宇宙を舞台とした輪廻転生の姿としてとらえる視点が欲しい。前の記事、空間が世界を創造するで、世界とは?空間とは?その素原『エネルギー』とは?等とその極限物理量光との関係を考えて見ようとした。ここでは、全ての世界の根源は『光』一つのエネルギーの極限的実在物理量で構成されていると言う基本認識で論じている。光が素粒子である。
上の①図のエネルギー空間分布δq(r,t)は光を取り上げれば、②図の光一粒の解釈量である。このエネルギー空間分布式については、光とは何か?-光量子像ーにその意味を解説した。そちらをご覧いただきたい。

その光を光量子エネルギーと観たとき、そのエネルギーの速度は『光速度』と言う空間の特性によって決められる値になると見る。その速度が空間定数値で決まる意味を③図に表した。光速度ベクトル
③図のベクトル計算で、単位ベクトルの取り扱い方が普通の数学と異なるかも知れない。(自己流解釈?それは、ベクトルの逆数を、分数をどのように解釈するかの数学的規定が無いので、自分なりの規定に基づいたためであろう。数学での「ベクトル計算」は具体的目の前の『空間』を考えるより、抽象的なベクトル概念での解釈になっているように思う。例えば微分演算子rot x などでも、ベクトルxを空間の長さで微分する訳であるが、空間の長さをベクトル量と意識して計算しているだろうか。長さは、その対象空間の方向性を加味した長さ(ベクトル量)として捉えないと抽象的で、曖昧な空間論になり易い。ベクトルでの割り算の問題と思う。)

光を含めた電磁エネルギーが空間を伝播するとき、そのエネルギーには空間的軸性と直交性の二つの特性が存在すると見られる。上に述べた事を空間上に表現してみれば
④図のようにまとめても良かろう。エネルギーのベクトル性
以上がエネルギーの舞台空間での振る舞いに関する大まかな捉え方の解釈である。

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