糞烏のいろいろ―犯罪国家―

忘れていた事を突然思い出す。新潟県教育行政の過去と未来―犯罪?-に記す。極秘県知事部局発令主張命令の項の末に記した。怒り心頭に発する。という言葉が当てはまるのか?

いろいろと糞烏が居るものだ。上の話は昭和54年夏の事件だ。昭和55年長岡技術科学大学に移って(辞令には前歴なし・空白で入ったから、移動ではない)から事件のたびに『糞烏』が現れていた。

子供のサッカー大会に、応援で参加したとき『糞烏』が現れたようだ。

昭和62年3月~4月の電気学会全国大会での発表のため、仙台への旅には2人程の『糞烏』が現れた。

同年5月のゴールデンウイークの休暇を利用して、日光・鬼怒川温泉方面に家族旅行をした。その時も『糞烏』が居る気配を感じた。

同年10月8日? 電気学会電磁界理論研究会(EMT-87-106 電磁エネルギーの発生・伝播・反射および吸収に関する考察)、千葉県館山市、国民宿舎にて。糞烏が出没尾行。

昭和63年春。5月の休みに柏崎市米山大橋の米山会館に家族ドライブ。翌日長岡技科大で、難波江章教授がそのドライブの行動を知っているような口振で聞いてきた。今考えると糞烏の雇人か。この時期は昭和62年の5月の間違いであったかも知れない。3月に、朝日新聞で、『ノーベル城のお殿様』と言う漫画が掲載された。4月にはフランスのイブモンタンさんが来日した。もう難波江教授には接触する筈がなかったから。長岡高専の昭和62年2月24日頃、難波江教授に呼び出されて、面会した。約束通り、長岡技術科学大学に戻る覚悟でいたから、それを変えて他の学校に移動させようとの話であった。津端教授にも会えと言われたが断った。そんなことがあって、先行きが見えない事は気掛かりではあったが、約束は果たそうとの覚悟であった。教授に睨まれて立つ瀬が有る訳がない。ここまで、私が生きる事が邪魔であった訳が何故かを知らなかった。ただ美空ひばりの、「川の流れのように」と言う歌が故郷を暗示してはいた。舞鶴鎮守府に繋がる等とは驚き桃の木であった。

昭和63年9月、長岡技術科学大学から雲隠れしてからの事件記事。

  • 昭和63年10月10日頃 電気学会電磁界理論研究会(EMT-88-145 瞬時電磁界理論の実験的検証とその意義)、於:滋賀県近江八幡市琵琶湖湖畔での発表には尾行はなかったようだ。無届の個人的旅程のためか?
  • 不思議な事件(糞烏でない)を経験。自動販売機の100円投入時の電源遮断で、料金強奪。最初の経験は、長岡市釜風呂温泉の通りでのコーヒー自販機。二度目は、夜になって国道117号線、長野県野沢温泉付近かと思うが、やはりコーヒー自販機で、のどが渇いたので100円投入したら電源遮断され、100円戻らず。この時は、長岡技科大の職員の車が2台程、尾行していた。それまでもいつも尾行していたようだ。自動販売機の遮断原因は、想像の域を出ないが飛行機からの何らかの信号操作か?不思議と言うより脅しの策略か?この二度の自販機事件は今でも話したくない、理解できない事だ。
  • 長岡技術科学大学職員の尾行。車で雲隠れする度に、尾行していた。

日本犯罪国家。

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